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わたしはただひたすらに、本を音楽を映画を貪り続ける

どれだけ時代を重ねても、心の豊かさは決して失ってはいけない。
わたしは未来のために、多くの素晴らしい作品が、時代を越えて受け継がれていくことを願う。


私は本と音楽と映画が好きだ。
ただ、いつもどこかでコンプレックスがあった。

どんなに素敵な本に、心揺さぶる音楽に、芸術的な映画に出会ったとしても、私はそれを創る側の人間ではないのだと。

才能溢れる誰かが、命を削った輝きを、私はひたすらに貪っている。

創る側になろうと思う才能さえ持って生まれてこなかった、そんなことを憂いていたわけではない。

ただ、作品が素晴らしければ素晴らしいほど、それが琴線に触れれば触れるほど、ただそれを受け取るしかできない自分が、むなしかったのだ。


そんな時に、一冊の本に出会った。
その本は、大切なものを失った悲しみを、言葉という不自由な道具で、ことさら丁寧に、真っ直ぐに紡いでいる作品だった。

たくさんの宝石のような言葉たちが大切にしまわれているこの本の中で、私は一生忘れられない一節に出会う。

「読むことは、書くことに勝るとも劣らない創造的な営みである。」(悲しみの秘義より)

言葉は書かれただけでは未完成で、読まれることによって結実するのだと本書では述べられている。

私はいつも、一部の隙もない完成した作品を見させていただいていると思っていた。
しかし、私がその作品を見て読んで楽しむことで、身を結ぶ何かがある。

どう解釈するか、好きか嫌いかは受け手次第であるという単純なことではない。

作品は本来、いつも同じ姿でその場所にいる。
ただ、そこから受け手が何を創造するかまでは創り手にはわからない。
作品にそれを決めることはできない。
受け手が創造するものによって、その作品は姿形を変えていくことがある。


これからの人生の中で、私が、光り輝く作品を生み出す側になることはないだろう。
誰かが削った命の輝きを、これからも貪り続ける。
ただ、もう悲観はしていない。

名作は、時代を越えて語り継がれていく。
それはどの時代にも、笑い泣き、ときには不満を抱き、その作品を受け止め、考え、解釈し、受け手としてなにかを創ってきたた人間がいたから。

私はこれからも、一人の受け手として作品を創り続ける。
それがわたしの、未来のためにできること。




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