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死んだらだれかに本気で泣いてほしいそれが人間

進撃の巨人の最終話付近の核心にふれてるのでご注意ください。


わたしが死んだら、誰が泣いてくれるかな、といつもおもう。

母も父も亡くなったいま、わたしが死んで本当に心の底から泣いてくれる人はいるんだろうか。

友達とか、親戚とか、おばあちゃんとか、そりゃ泣いてくれるとはおもう。

ただ、きっとわたしが望んでいるのはそれじゃない。

取り乱して、何年か引きずって、わたしのことを思い出しては泣いてほしい。

なんて身勝手な感情。

お父さんお母さん。
もし二人もそうだったらそれはまあもうとっても思い通りです。
でもわたしは、わたしが死んだときに本当に泣いてくれる人はいま、いないような気がしてます。

母がなくなってちょっとくらいのきに思ったのは、死んだあとの事なんて、という気持ちだった。
病気だった母は遺書を残していた。
それに沿っていろいろやった。

でも、自分に置き換えて考えたときに、死んだあとの事なんてどうなったところで、と思ったりもした。

それなのに不思議なことに、半年一年経って、死んだ父と母のいろいろを大切にしたくなっている自分がいる。
まあシンプルに加齢もあるんでしょうけど。
自分がそこに近づくにつれて(ミドサーだけど)、わたしも大事にされたいのかもしれない。

世界情勢は不安定だし、殺人事件は毎日のように聞く。
まあそしてそもそも人はいつ死ぬかは分からない。
そんな不安の中でわたしが一番怖いのは、誰にも何も想われずに死ぬこと。

例えば大地震が起きて全員がピンチの時に、誰がわたしのことを一番に心配してくれるだろう。
なんだかわたしは、死ぬときに誰にも知られずに誰にも想われずに死ぬのが怖い。

せめて、瞬間には想われなくても、死んでしまったらだれかに本気で泣いて、悲しんでほしい。

この気持ちってなんなんだろう。
死ぬ時、死んだあと誰が何を想ったとして何も知るすべはないのに。


わたしは日々そんなことを考えていて、
なので進撃の巨人のエレンの最後がたまらなかった。
わたし初回からエレンすごい苦手だったのにあんなんずるいよ。

あんなに情けなくて、人間の心にまっすぐな主人公いなかったんじゃないかな。
だから嫌いだったのかも。

エヴァのシンジくんの情けなさとも違う。
エレンの、かっこつけたいけど、人間としての心の叫びがわたしにはたまらなかった。

誰だって死ぬときに想われたいよ。
死んだら泣いてほしいよ。

死んだら、10年は引きずってほしいよね

それではまた

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