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全部間違えたホームステイ

社会人になってから3週間の語学留学をしたときのお話です。

29歳のときに2度目の転職をし、有給消化で1ヶ月ほどの休暇ができたので、前々から興味があった短期の英語留学にいくことにしました。

なんやかんやで行き先は自然豊かで治安も良いニュージーランドに決定しましたが、私は滞在先をどうするかで悩んでいました。
留学中の滞在先の選択肢としては ❶留学先の学校提携の寮 ❷ホームステイ のふたつ。

その当時のわたしは絶賛人見知りでした。
子供の頃から引っ込み思案というか内弁慶というか、どこにいたらいいかよくわからない場所がとにかく苦手でした。
学校の5分休み。
友達の家に泊まった時、お風呂を上がった後の自由時間のくつろぎ場所。
バイトの休憩室。
立食スタイルのパーティ。
私はこれらを所在がないシリーズと呼んでいます。

海外のホストファミリーの家。所在がないことこの上なし。

学校提携の寮一択でした。

しかし、旅行を手配してくれたエージェントさんと海外留学経験がある友人の言葉に私の決意は揺らぎます。

  • せっかく留学に行くなら現地の方と交流できるホームステイがおすすめ

  • ホストファミリーによってはショートトリップに一緒に連れて行ってくれることもある

  • 英語が少しでも喋れるようになりたいならホームステイ以外に選択肢はない。

たしかに私の目的は英語を少しでもマシにすること。
まあどうにかなるか、と結局ホームステイを選択しました。
結論、どうにもなりませんでした。


ニュージーランドへは成田からの直行便で11時間。
CAさんにfish or chickenを聞かれて「しゃけ」と答え続けるお隣夫妻を助けられずただ生暖かい目で見つめるなどといった無為な時間を過ごしているうちにいつの間にかニュージーランドについていました。

空港で送迎担当の方にピックアップしてもらい、早速ホストファミリーの元へ。

立派な一軒家の玄関で、これぞキーウィ!(ニュージーランドの方の国際的ニックネーム)というママンがお出迎えしてくださいました。

ママンはあまたの留学生の受け入れをされてきたようで、テキパキとルームツアーをしてくれます。

しかし私は内心パニックでした。
理由は2つあります。

ひとつ目は、びっくりするくらい英語が聞き取れない。
ニュージーランドはイギリス英語でなかなか癖があるらしいというのは聞いていましたが、本当にわかりませんでした。(私の実力不足です)

ふたつ目は、お犬様がいらっしゃいました。
大の苦手です。
しかもめちゃくちゃ吠える。
よそ者としてものすごい勢いで排除を試みられ、靴下の先を噛まれて引っ張られ、心が折れました。

内心めちゃくちゃ焦りながら心折れながら、なんとなく雰囲気で説明は理解し、荷解きをすすめられ自室に入りました。どうやら息子さんは今いなくて後で帰ってくるらしいということだけわかりました。

その時点で時間は15時くらい。
人見知りはこのような時にどう過ごせばいいのかわかりません。

語学学校に通うのは明日からで、用事は特にありません。
ママンはリビングで何かしているようだ。普通の人なら荷解きを終えたらなんとなく自然にリビングに行くのだと思います。
しかし私は話すことがないのでリビングに行けません。

いや、実は話したいことはありました。

時を遡ること1週間。
私はホストファミリーへのお土産をどうするか考えていました。
事前情報では40代くらいのお母さんと、小学高低学年くらいの息子さんがいらっしゃるとのこと。

考えに考え、100均で大量の折り紙とポリバルーン(ストローの先に謎の軟膏みたいな透明のぶにぶにをつけて息を吹き込むと膨らむやつ)、ブタミントン的なおもちゃを買っていきました。
決して適当に選んだわけではありません。ものすごい深度での思考を繰り返し、様々な情報をもとに演算をしたところ、自然と答えがそれに収束したのです。答えに導かれたわけです。

つまり、わたしのおみやげ選びのセンスは壊滅的でした。

ニュージーランドのホストファミリーの自室で改めてそのお土産を見て思いました。

これもらって嬉しい人いる?

私は袋をそっと部屋の隅に置き、渡すのをやめることを決めました。

そんなこんなをしてるうちに、ママンが出かけていきました。車が出た音を確認してからリビングに恐る恐る出ていきます。

勝手に家中を歩き回り、また車の音がしたところで再度自室に引き返しました。
まるで日本から来た空き巣です。

自室のドア越しに外の様子を伺います。
元気な男の子の声がドア越しに聞こえてきます。

これは流石に大人として自分から部屋を出て挨拶をしないといけない。
一生の勇気を振り絞ってドアに手をかけました。
ママンの仲介もありなんとか息子さんと顔を合わせることはできました。
その間もずっとわんこが吠えていました。

ママンからの説明では、洗濯機やキッチンは自由に使ってよく、夜ご飯は家で出してくれるとのことでした。
朝ごはんは家にあるものは勝手に食べていいとのこと。
お風呂も入る時は鍵をかけてくれればいつでも好きな時に入っていい。
ママンは深夜に、息子は朝入るからそれ以外の時間が好ましいとのこと。

とりあえずその日は促されるままに夜ご飯とお風呂を終えてベッドにはいりました。

さて、次の日からどう過ごすか。
わたしはベッドのなかで考えました。
人見知りは人様の家の冷蔵庫を勝手に開けて食材を選んで調理するという高度なコミュニケーションを取ることはできません。
英語力もありません。

そしてそれ以降、3週間このような日々を過ごしました。

  • 朝は全員が出かけた後に活動を開始し、牛乳だけ飲ませていただく。

  • スーパーマーケットで丸パンとチーズとハムを買い、自室にストック

  • ミニ十徳ナイフで自室で簡単サンドイッチを作り学校に昼食としてもっていく

  • 語学学校の終了後は図書室で勉強をして夕方帰宅しそのまま自室でぐだぐだ

  • 夜ご飯は呼ばれるまで部屋から出ない

  • 夜ごはんが終わったらすぐに自室に戻ってチーズつまみに一人酒

  • 休日(語学学校がない日)は自分でバス手配や車を借りて観光地旅行へ

要するに極力ホストファミリーと顔を合わせないよう、忍びのような生活をしていました。
日中人がいない家を勝手に住処にするという漫画があった気がしてそれを思い出していました。

みなさん思われるでしょう。何しに行ったんだお前は、と。
ええ。わたしも思ってました。なんか思ってたホームステイと違うな、と。
ホームステイってこんなこそこそするんだっけ。

用事がある時以外会話はほぼせず、休日出かけて家にいないということについてはまさかの置き手紙で伝えるというスタイルをとっていました。
どれだけ不器用なのでしょうかわたしは。

夜はやることがなくて暇なので、お土産に持ってきた100均のポリバルーンを自分で膨らませて遊びました。ここで役に立ちました。

洗濯機は2日に1回使いたかったけど言い出せず、浴槽で手洗いして自室に干したりしていました。もはや可哀想。

語学学校では普通に他の生徒とコミュニケーションをとっていました。
うまく言えませんがそうゆうのは平気なのです。やることが決まっている場所で話しかけられれば喋れるし、あとは日本人同士の場合は日本語で喋っていたし他国の生徒の場合はお互い英語が下手でお互い様だったので大丈夫だったのかもしれません。

生徒からホストファミリーの話を聞くと、毎日ホストファミリーと食卓を囲んで喋っているとか、週末一緒にショートトリップに行くとか、違う惑星の生活のような話ばかり飛び込んできてびっくりしました。
ホストファミリーと合わなくて途中から寮に変えたという子がいた時は「仲間だ!」と思いましたが、話を聞くと「小さい子がずっとまとわりついてきて一人の時間が取れない」ということでまったく違いました。
やっぱり自分に問題があるんだなというのを確信しました。


3週間の中で、覚えているママンとの会話はふたつだけです。

ひとつは、夜ご飯をいただいている時のお話。
どうでもいいですが、その日の夜ご飯はラム肉でした。
わたしはラム肉が苦手です。しかしそこはニュージーランド。ラムはそりゃ出てきます。ラム肉が苦手なことはいいませんでした。
夕食を作る時にママンにコリアンダーは苦手ではないかと聞かれ、「大丈夫!」と元気に答えたら、パクチーみたいなものでした。わたしはパクチーがこの世で一番苦手です。

黙ってラムコリアンダーご飯をいただいていたら、ママンがお話を振ってくれた時の会話です。

Are you married?(結婚してる?)
No.(ううん)
Do you have a boyfriend?(あら、じゃあ彼氏はいる?)
No.(ううん)
… Do you have someone you are dating?(… デートしてる人はいる?)
No.(ううん)
….. Why?(….なぜ?)

ママンは本当に不思議そうな顔をしていました。
心の底から思いました、私が知りたいわ!と。
ママンと意図せずお笑いをしてしまいました。


ふたつ目は、会話というよりも1週間ほど経った日に言われたとことです。

あなたは自室にこもってないでもっと私たちとコミュニケーションをとるべき

おっしゃるとおり過ぎました。
大人なのにしっかりと注意というか提言をされてしまい、とても恥ずかしかったです。
頑張る!と言ったかは覚えていませんが、その後もわたしの態度が変わることはなく、ママンが諦めていくのがわかり、本当に申し訳なかったなと今でも思います。


ホストファミリーを避ける謎生活を続け、わたしは決意しました。

1日か2日でいいからホストファミリーでの滞在を短くしよう。

もっとコミュニケーションをとろう!という決意ではなく、ともかくこの場を離れることにしたのです。性格が出ます。

本来だと語学学校が終了したあと1日2日ほどホストファミリー宅に滞在して日本にそのまま帰る予定でしたが、自分で宿泊先を抑えてホテルに泊まりながら自由に観光しそこから帰ることに予定を変えました。
ママンにはなんとかその予定変更についてと、最終日の予定(出発日時など)をさすがに口頭で伝えました。
特に目立った反応はありませんでした。

予定変更を決めてから私の心はだいぶ軽くなりました。どれだけ嫌だったんでしょう。
本当に失礼なことです。
名誉のためにお伝えすると、ファミリーのおうちはとても綺麗でしたし、頑なに引きこもる私を家族の輪に入れてくださったこともあり、本当によくしていただきました。
他の受け入れ留学生の話もされていましたが、一緒にどこかに行ったとかそんなこともおっしゃっていたので、何もしない適当なホストファミリーみたいなわけでもありません。(ホストファミリーによって当たり外れがあることはあるようですが、ホストファミリーベテランのちゃんとした家でした)

ただとにもかくにもわたしが根暗だったために勝手に辛くなってしまっただけです。


そんなこんなで、刻々と別れの日は近づいてきます。

最後のわたしのミッションは、ホストファミリーへの贈り物を買うことでした。
ママンとしては留学生を受け入れることで、息子さんにさまざまな文化と触れ合ってほしいとか、色々な思いがあるのではないかと思います。
それを家にいるはずなのに頑なに姿を見せない謎の日本人留学生が踏み躙ってしまったことをわたしは大変申し訳なく思っていました。

おりしもニュージーランドはクリスマスシーズンでした。
語学学校の友達と買い物に行き、サンタクロースを模したチョコレートをプレゼントに決めました。
わたしはセンスがありませんが、友達も太鼓判を押してくれたので大丈夫です。

わたしはプレゼントを見られないように、自室の出窓においてカーテンで隠しておきました。

そして出発の前日夜。
私はホストファミリーへ手紙を書きました。
拙い英語で感謝を綴ります。
そして出窓においていた紙袋からサンタのチョコレートを覗いて驚愕しました。

サンタがぺしゃんこに潰れていました。

高さ15センチくらいあったサンタは跡形もなく、赤と白のただのチョコの塊になっていました。

ニュージーランドのクリスマスは、季節が逆なので夏です。
わたしは真夏の日光が燦々と差し込む出窓にチョコレートのサンタクロースを2日間も置いていました。

ご存命の頃のサンタ


お亡くなり

出発は明日の朝。列車の予約も済ませています。
いまから何かを買いに行く時間はありません。

困り果てた私の目に、部屋の片隅に追いやられたあるものが目に入りました。
私はそれを手に取り、もくもくと作業を続け、ベッドに入りました。

そして翌朝。
荷物をまとめて自室の部屋のドアを静かに開けました。
出発時間は伝えていましたが、ホストファミリーはまだ寝ているようです。

おかしな日本人留学生をキメてしまったとはいえ、さすがに最終日に誰も見送ってくれないとは予想外でした。
友人たちからは最終日はホストファミリーが泣いてしまってなかなかお別れできなかったと聞いていました。
やはりここでも違いが際立ちます。

わたしはホストファミリーを起こさないよう、そっと玄関のドアを開け、足で押さえながら大きなキャリーケースを運び出し、玄関を閉めました。
玄関にお礼をし、ポーチを抜けて軽い足取りで道を歩き出す。
朝の道路にキャリーケースを引く音が軽快に響く。

わたしが3週間こもり続けた自室のサイドボードには、謎の日本人留学生が残した折り紙の鶴とくす玉、紙風船が残されています。

喜んでくれたらいいな。いらないだろうけど。


わたしのホームステイはこのような感じで全部間違え続けて最後までいきました。
ここまでの話では地獄の体験談に見えるかもしれませんが、ものすごく楽しかったということをお伝えしておこうと思います。
国際免許をとって運転して観光地に行ったり、ニュージーランドのスーパーでチーズを買い漁ったり、素晴らしい自然に触れたりと、何度でも訪れたいほどに素敵な経験をできました。

すーぱー!
どこかの公園
どこかの公園
どこかの島からの夕日

留学を通してホストファミリーには、日本人は折り紙で色々なものを折ることができる、ということだけは伝えられたかと思います。

いまはだいぶ歳をとって、人の家でもお風呂上がりにリビングに行けるようになりましたが、あのころは本当にそれが自分にとっては大きなハードルで辛かったなあ、と思います。

なんとなく、海外でホームステイをすれば開放的な空気と人柄に触れて勝手に人見知りが治るのでは!という期待もあったのですが、びっくりするくらい何も変わらなくて自分で本当に驚きました。
人見知りだけど愛情に触れて心でコミュニケーションができた!とYahoo!知恵袋にあったのに。
聡明なみなさまはお気づきかと思いますが、行くだけで何かが変わることなどあるはずもなく、心を開く勇気を最後まで持てなかったことが原因なのだと思います。
人見知りで引っ込み思案な上に頑なで、大きな流れに身を委ねなかった。
そして最後は逃げ出した、という感じでしたが、総じて大変自分らしいホームステイだったなとはおもいます。

この体験記が、人見知りや引っ込み思案でホームステイを迷っているどなたかの背中を押すことができれば幸いです。
おそらくこれを読んで「何してるんだこの人」と思われたことでしょう。そう思ったあなたはとてもまともな方です。
ホームステイができます。大丈夫です。
相手に身を委ね、流されるまま自室の部屋のドアを開けるだけでいいのです。

ニュージーランドはとても美しい国です。ぜひ留学先にご検討ください。
ホストファミリーが用意してくれた部屋の片隅に、謎の折り紙が置いてあったら、少しこの話のことを思い出して勇気を出してください。

それではまた。


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