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即ブロックする人間関係の相対化

インスタで相互フォローしていた人に「説明文がコピペのままで間違っていますよ」とコメントしたら、「公の場で間違いを指摘するようなデリカシーない人はブロックします!」という意のメッセージが来て縁が切られた。

「余計なことを言っちゃう癖はあるなぁ」と反省しつつも、「そうは言っても沸点の低い人だなぁ」とも思う。そうやって簡単に人との関係が壊れることに胸がチクっとしたので、非難でも正当化でもなく目の前の出来事をどのように捉えて、どう折り合い付けるのかについて書こうとする。

あらすじと進捗

これまでFacebookと同じノリでインスタを運用してきたけれど、インスタにはインスタの作法があるのだろうと思い、新規アカウントを開設して、巷でベストプラクティスとされるインスタ運用をやってみている。

写真のクオリティは変わらない対照実験として、サブ垢では投稿の一貫性、タイミング、タグなどに配慮するとともに、イイネ巡回に励んでいる。開始から44日の途中経過として、投稿43件、フォロワー371人、フォロー中336人まできた。

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どちらかと言えばメイン垢には知人や近所の店など現実世界で関わる可能性が高い人が多いけれど、サブ垢はただ写真だけのお付き合いをする割り切った関係の人が多い。

即ブロック兄さんに対して思うこと

冒頭の即ブロック兄さんに対して、まだ現実世界やFacebookの価値観が抜けない私は「沸点が低い人だなぁ」という感想を持つけれど、相手からすると写真だけのお付き合いをする数千人いるフォロワーの1人でしかないのだから、不快な思いをしてまで繋がり続ける意味はまったく無い。そりゃぁブロックして当然だろう。そう思うと心の整理がつく。

「だからネットの関係なんて繋がりが軽薄だから駄目だ」という指摘は短絡的だと思う。違う例ながら、田舎と都会では人間関係の在り方も異なり、それぞれ一長一短ある。田舎の方が人間の繋がりが深くて困った時は助け合う良い面もあるけれど、仮に隣人とソリが合わなくても付き合いを続けねばならない。一方の都会では、隣人に頼らなくても各種のサービスが受けられるから、顔を合わさず生きられるし、生活基盤を変えずに引っ越すコストも低い。

「都会は人付き合いが希薄で可哀そう」と言われても、自分にとってはちょうど良いのでピンと来ない。それと同じように、自分と即ブロックお兄さんはではちょうど良い塩梅も当たり前も違うのだろう。

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田舎生活、都会生活、Facebook、インスタそれぞれに、明文化されてはいなくても生き抜くのに適した作法がある。これは、置かれた環境・報酬・評価軸から、人間の振る舞い・価値観・関係性にまで波及した結果なんだと捉えている。むしろインスタの土俵でインスタらしい振る舞いをしている即ブロック兄さんの方が環境に適応しているとも言える。

数直線を引いて相対化する

教養として国語を学ぶ意義として「相手の主張を相対化すること」という事が述べられていたのを思い出す。入試問題の設問にはそれらしい答えが用意されているけれど、文章そのものが絶対的に正しい訳でなく「それも考え方の1つだよね」という受け止め方をする。数直線上に「○○主義」「△△主義」を置いて、筆者の主張がどこにあるのかを位置付けるような読み方をする。

この考え方を応用すると、田舎生活→都会生活→Facebook→Instagramにおける人間関係の在り方を一直線上に置いて相対化できるんでないか。右にいくほど1対1の関係は希薄になり、依存先は増え、関係をつくる・壊すコストは下がる。

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「ネットの友達なんて困った時に助けてくれない」なんて田舎の親みたいな批判もあるけれど、1人が助けてくれる密度は低くてもフォロワーが10万人いたらその発信力を買いたい人も現れるので、このご時世だと「身を助けてくれる」に値する。この意味で案外、恩恵を受けられる総量は変わらないかもしれない。ただ土俵(環境)が違うので良し悪しの比べようがない。

モードを使い分ける

田舎の親戚が遊びに来たら(最近は来れないけど)田舎とは過ごし方を変えるように、私が家・会社・友人それぞれで振る舞いを変えるように、人との関わり方も現実世界とインスタでは使い分けて当たり前だろう。

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ただ、同じ人間がやる以上はキッパリ切り離せないことも意識している。サブ垢運用でイイネ返しを心掛けるようになってから、それまでやらなかったメイン垢でもイイネ返しするようになったりと変化がある。仕事の振る舞いが職業病になって私生活にも持ち込まれるような話。

それから、領域が重なり合うこともある。写真だけで繋がることの方が稀で、身近な現実世界の情報をインスタで発信する人の方が多いのではなかろうか。嫌だからと即ブロックし続けると現実世界にも敵をつくって顔を合わせることになってしまう。現実世界にも片足を突っ込んだインスタ運用があるように、実際はスペクトラム状に分布しているのかもしれない。

一筋縄ではいかないとしても、人間関係で「おやっ?」と思った時には、いったん相対化してみて、「そういう考え方もあるよね」と思えることで、けっこう気持ちの整理は付くことは教訓にしておきたい。

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