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指で計算したらいけないの?

小学生になった我が子は計算問題が苦手。今は2桁の足し算や引き算をやっていて、宿題のプリントなどを覗き込んでも間違いがある。私に似て素直じゃないから、私に教えを乞うことは無いんだけど、聞く耳があれば「間違うくらいなら指で数えればいいんじゃない?」と言いたい。

恥ずかしい以外の弊害は無い

告白すると、私は2桁の足し算・引き算を暗算で出来ない。筆算を書いて各桁は指で計算する。筆算だと上の桁から借りることもあるので、「13-7」のような「十いくつ-1桁」ができれば事足りる。うろ覚えの暗算で間違えるよりは指を折って計算していた。これが小学生や中学生の時分は恥ずかしくて、見えないようにこっそり指を折っていた。

振り返ると実際のところ「恥ずかしい」以外に弊害はない。確かに小学校低学年の頃は、多くの問題を時間いっぱい計算させるテストもあった。それでも速くて間違えるよりは指で数えて正確な方がマシだったし、学年が上がるごとに計算速度は重視されなくなり、指で計算しても試験時間は余るようになった。指で計算することをからかわれても「100点ですが何か?」の方が強い。

・中学:指で計算していても、数学は「5」とれた。
・高専:試験に関数電卓が持ち込めるので困らなかった。
・大学院:システム数理を専攻するも数式か数値計算なので困らなかった。

祖母は「読み書き算盤」と言っていたけれど、大人になればスマホを取り出して計算することに違和感がない世界になっていた。年々老化することもあり計算できないことが恥ずかしい事ではなくなった。

まずは確実に出来る方法から出発しよう

「個体発生は系統発生を繰り返す」よろしく、1人の子供が学問を習得する時も、まずは原始的なやり方を身に付けて、徐々に高度なやり方へと進化すれば良いと思う。具体的なイメージは以下で、つまづいているならStepは細かく刻んだっていい。

Step1. 「13-7」みたいな問題を指で数えて解く
Step2. 「23-17」になると「指が足りない」弊害があるので筆算する
Step3. 指で数えると「時間がかかる」弊害があるので、10からの引き算は暗記しておいて「13-7 = (3+10)-7 = 3+(10-7)」に分解して暗算する
Step4. 筆算を書くのに「時間がかかる」という弊害があるので頭の中でやる

最初のStepでは現実空間の指や紙に頼ることで、時間を犠牲にして計算している。Stepが上がると現実空間にたよらず脳内でやるので早いぶん、脳への負担も増える。

ジョブズが「考えるリソースを割きたくない」理由で毎日同じ服を着るみたく、私の場合は暗算にリソースを割きたくなかった。必要あれば訓練して専用の計算回路を身に付ける覚悟はしていたけれど、差し迫った必要なんてなかったのでStep.2で留まっている。少なくとも娘はStep.3をこなしているので親父越えしている。

現状のStepでの弊害を感じてから次のStepに挑戦することで、「なぜそんな負担のかかることをする必要があるのか?」が実感できる。いきなりStep.4から入ると、言われたままに手続きをなぞる感じになってしまう。残りの人生で覚え続けていられるためにも、必要性の裏付けで補強しておくのは大事だと思うし、その出発点として指で数えるところから始めてもいいと思う。

3桁の暗算が出来ても3次微分方程式の暗算は出来ないのだから、どこかの段階では現実空間のリソースに頼る必要が出てくる。指で数えるのと、紙に書くのと、関数電卓使うのと、ワークステーションぶん回すのと、何をもって自分の力とするのかなんて線引きは曖昧だなぁと感じる。

身体性を使って感覚を身に付ける

ゆくゆくは高度な方法で計算できるようになったとしても、指で数える原体験を経ることが役立つこともある。概念や手続きの世界で計算して間違っている場合に、「感覚的にそうはならないだろう」と教えてくれる。

ある日は「90+30=120」が出来ていたのに、別の日になると「930」と答えていたりする。その過程について聞き出せなかったけれど、おそらく手続きの世界で「0を取って計算して、あとからくっつける」が不完全に働いたと想像する。

流石に30を指で数えることは出来ないけれど、想像上に10の束を描いていれば、「そうはならない」「何かがおかしい」と気付けるのではないか。

概念の世界から戻る拠り所

集合論や離散数学を学ぶ頃には、概念の話が多くなって数字の計算をすることは少なくなる。無限個の要素を持つ集合が「数えられる」かどうかを議論する際に、自然数とマッピングする枚挙関数をつくる。

これって「指で数える」とか「リンゴの前におはじきを置いて、おはじきを整列させて数える」とかの儀式に近いことをやってるんだなと感慨深く感じた。

概念世界でよく分からなくなった時に、一例として自然数に立ち戻るとイメージが掴めたりする。必ずしも暗算は必要ないけれど、馴染みある世界を持つと心強い。

身体性を伴う「指で数える」経験から出発して、それでは足りないので概念的な世界に出発して、長い数学の旅に遠征しても時々は「指で数える」経験をルーツとして思い出す。原体験として指で数えたっていい。

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