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対峙と融和

酒席での議論をシラフで語るのは野暮というものです。

たた、粋がるほどのなにかを背負っているわけではありませんので、野暮は承知で、酒席の話題を蒸し返してみたいのです。

それは、争うこと、そのスタンスについてでした。

2元代表制と呼ばれる地方政治は、執行部と議会にそれぞれ権限を割り振ることで、ときに対立し、ときに協同しながら自治体を前に進めていくとされています。

この2つの機能のどちらに重きを置くかは、案外、議員の資質に左右される気がしています。

これが顕著に表れるのは、一般質問やヒアリングと呼ばれる行政のスタンスを質すときです。

前者の対峙を好む人は、質問権を行使する場を「裁判」に見立ていると想像できます。

裁判とは、第三者が紛争当事者間の権利義務関係を白黒つけるとすれば、原告を議員に、被告を執行部に、裁判官を「市民」に見立てることです。

これは、多勢に一人で立ち向かうヒロイックな舞台設定になるので、裁判官である観衆に好かれる構図となります。

そして、この構図の利点は世論を喚起することで圧倒的なうねりを作り上げ、執行部を初めとした行政を変革させる力を得ることです。

ただ、ここには徹底的に「争う」ことを前提としているからこそ孕む、負の側面もあります。

それは、世論を喚起するために、言葉や身振りによるレトリックを駆使した攻防を繰り広げ、第三者の印象を操作することが主眼とされてしまうことです。

これは負の側面が抱えるリスクがありすぎる、わたしはそう思います。

だからこそ、先の大別した2つの後者の方、つまり融和を選んでしまいます。この融和とは、言い換えるなら、紛争を「和解」により解決へ持ち込もうとする態度を指します。

これは、執行部と相対したさい「まあまあ、ここは間をとって、どうかひとつ、ここらへんで、おさめませんか」という、なんとも歯切れの悪い姿勢になりす(少なくとも客観的には)。

残念ながら、当事者間で落としどころを探るこのスタンスは、市民から視ると大変な不興を買う可能性があります。

ただ、それを減じても、和解という態度は他と比べ利することが多いのではないでしょうか。

なんとなくそう想うのですが、酒席での議論をこれ以上繰り広げるのは、それこそ野暮というもの。

要は落としどころ。

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