オリンピックと星巡りの歌


「オリンピックは参加する事に意義がある」

TOKYO2020ほどこの言葉がピッタリ来るオリンピックは、過去に無かったのでは無いでしょうか?

まだパラリンピックを残すもののTOKYO2020は大成功のうちに無事終わりました。何より、世界205の国と地域から約11,000人ものアスリートが日本に来る事ができた。

11,000人のオリンピアンが日本に来て競技する為には一体どれくらいの人の苦労と協力と勇気があったのか想像もできません。

果たして開催されるのかという不安と迷いもあったと思います。

受け入れ側の事務局やボランティアにも同じ苦労があったし、主催側のIOC、日本国、東京都の開催の決断には大きな苦悩があったはずです。

もちろん、世界中の感染症に苦しむ人やその治療や防止にあたる人の苦労はアスリート以上であったかも知れません。

これほどのたくさんの人の苦難の中にあっても今回オリンピアンは最高のパフォーマンスを発揮できたのでは無いでしょうか?それを見た私たちはたくさんの勇気と希望を受け取る事ができました。

多くの人の協力を信じてこその最高の大会であったと誰もが感じたと思います。

オリンピックには苦難の歴史があります。19世紀末、まだまだ列国が植民地戦争に明け暮れていた1896年にクーベルタン男爵の提唱によりアテネで第一回オリンピックが開催された後も各国選手団の競争や対立は激しく、第4回のロンドン大会では、米英選手団の対立が激化し大混乱しました。

その時、米国から選手団に帯同していたペンシルベニア大司教であったタルボット司教がセントポール寺院で行われた日曜日のミサで両国選手を前に、" The most important thing in the Olympic Games is not to win but to take part! "「オリンピックで最も重要なことは、勝利することより、むしろ、参加した、ということであろう」と語りかけました。

それを聞いたクーベルタン男爵がレセプションで披露して、その後L’important, c’est de participer.
「重要なのは参加すること=参加する事に意義がある」
と現在まで伝わって来たわけです。

でも五輪の歴史は、二度の世界大戦と冷戦を経て、益々国威高揚の場になっていきました。それに加えて20世紀末頃からは、放送メディアが主役の商業五輪の色合いが強まり、アスリートのプロ化も進みました。

TOKYO2020の成否にはまだいろいろな意見があります。第一、日本も世界も感染症が治まったわけではありません。

それにしても、閉会式が宮沢賢治作詞作曲の星巡りの歌で聖火消灯を迎えたのには驚きました。
「星巡りの歌」は、農業技師で天文はじめ先端科学、音楽や詩歌文学、宗教もに秀でた賢治が苦悩の中にあっても星空を見て口ずさんだ希望の歌です。

星達は、日々生まれたり消滅したりを何億年単位で繰り返しても尚調和しながら巡っています。
オリンピアンにもたくさんの苦悩があり、私たちにも世界中の人にも苦悩があり、そして同時に、歓喜や分かち合いを繰り返して平和と幸福を望んでいます。

そんな人間と五輪の原点を感じたTOKYO2020の閉会式でした。

感謝しかありません。

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