母が死んだ冬

  母が死んだ冬が来た。机にはりついて勉強する冬は3度目。浪人を決めた事も、実は心底後悔している。
  母はいつも残業して帰ってきた。だけど5年前の冬、その日だけ、午前1時になっても帰ってこない。母がいないと泣き出した妹と一緒に、飲んできてるんだろとぼやく父に頼み会社へ確認してもらった。しばらくして、冷たくなったオフィスの床に倒れていた、母が見つかった。くも膜下出血だった。中学3年生だった僕は、はじめて触れた身近な人の死に衝撃を受け、そのまま医者になることを決めた。純白の正義マントを羽織って、命を守るのだと。
  「真紀さんの命を背負って努力するって、偉い息子や。死ぬまで、いや死んでも応援するけんな!!」そう言って祖父母は僕の浪人にかかる予備校代を全額支払ってくれた。それきり祖父母と顔を合わせることはなく、たまに父が家族団欒の写真を撮ってメールしているようだ。予備校代を払ってくれたのもそうだけど、株が上手くいってるらしい。新しい趣味ができたと元気に暮らしているようだ。だからもう、直接僕に連絡してくることもなければ会いに来ることもない。彼らにとって孫は娯楽の一部でしかなかったようだ。
  手放しで応援できるほど僕は強くないし、心折れやすいことを知っているはずの父でさえ、僕の決断を病的なまでに褒めたたえた。5年たった今、母が生前どんなに素敵な人だったかとか、料理が美味かったとか、たくさん母の褒め話をしている。でも父はいつも母を妬んでいた。母は有名雑誌の編集部で誰よりも慕われていたし、親父より稼いでいたから、嫉妬していたのだ。母によく暴言を浴びせては、「もう、わかったから。これ使っていいから。不快。」と1万円を渡され黙って家を出ていく姿を何度も見ている。生きている母を褒めるのは悔しいくせに、死んだら比較対象にならないから、”俺の女”だったって褒めあげている父。人間の卑しい部分を剥き出しにした怪物だ。
  ちなみに母は父の再婚相手で、僕との血縁関係はない。だけど、妹の母親だ。妹は小学6年生。勉強も運動もできる活発なリーダー気質で、女子サッカーのクラブチームに所属している。下級生の面倒をよく見ていると評判だ。でも、母が死んでから、たまに虚空をぼーっと見つめていることがある。少し前まで一緒にお風呂に入っていたけど、湯船に浸かっていたら突然泣き出したこともあった。芯は強いけど、守りたくなる儚げな様子が、母にとてもよく似てきた。元気いっぱいの子どもを演じて、彼女なりに寂しさを隠しているんだ。毎日夜遅くまで勉強する僕におにぎりを握ってくれるのも、母の真似事をしているようだ。
  「母親の死をきっかけに、医者を目指して奮闘する僕」に酔いしれていれたら良かったのだけど。前を向くことと母の死を乗り越えることは別物なのだと、今になって気づいた。医者になるという決断で感情に訴えかけ、周囲が支えてくれている現状は、僕が前を向くきっかけにはならなかった。
  母の死のインパクトは今でも続いている。勉強中全てが嫌になって死のうとすることがあるが、5年前の喪失感が僕を引き止めてしまうのだ。
  予備校の帰り道、駅のホームで深呼吸する。母が最期に吸った、冷たい真冬の空気を想う。情けない父、かわいい妹、連れ子の僕のことを想って、”生きたい”と願っただろうか。それとも、掴んだ人望、記事の評価を気にして、”死にたくない”と祈ったのか。
  刺すように冷えていた空気は、僕の肺の中でぬるく温まり、真っ白なため息になって消えていった。


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