リカコの魔法道具


11時に起きて紅茶を飲み、アロマを焚きながらメイクと着替え。車で出勤して、新作の研究とミーティング。6時に退勤しディナーを食べて帰宅。10時から持ち帰った報告書作成を静かな部屋で済ませ、12時過ぎに風呂に浸かりながらワインを嗜む__

現状。朝は8時に出勤。バラエティショップ特有のやかましい店内でモソモソ品出し、聞いた事もない外国製化粧品の在庫を執拗に要求する客。電池切れの商品紹介モニター。ボロボロに割れたチークのテスター。アイライナーを袖に隠して万引きする女子高生。午後10時半にバイトを帰らせ、11時に店を閉め車で帰宅。家に着くのは0時過ぎ、一人暮らしの荒れ果てた部屋に、丸くなって眠る瞬間しか幸せを感じない。
この生活も5年目。毎朝フロントガラスに張りついたカメムシをワイパーで振り落として、鬱憤を晴らしていた。

今日もまた、いつもと変わらない職場。真っ黒の制服を着て、商品のラッピングをしていた時だ。
「あの、店員さん、もしかしてリカコ?」
ハッとして顔を上げると、高校の友達、リカコだった。

連絡先を交換した私たちは、休みの土曜日に遊びに行くことになった。とりあえず入ったカフェでパンケーキを頬張りながら、リカコはウキウキした声で話しかけてくれた。
「私たち、名前が一緒だから体育の時大変だったよね。」
「みんな下の名前で呼ぶからね…私だけは苗字だったっけ。」
「そうそう、私がリカコであなたが尾崎さん。………覚えてる?先生にさ、名前の漢字、聞かれたこと。」
「そんなことあったっけ?」
「3年のはじめての音楽の授業。あなたさ、”理想を叶える子で、理叶子です。”って言ったんだよ。みんなの前で。」
胸の奥がズキンとした。
「あたしは”梨の香りの子ですぅ”って言ったら、汗臭いだろ!!とか、梨汁ブシャー!!とか言われてさ。理叶子のこと羨ましかったなぁ。」
でも今は、私があなたを羨んでいるよ。
「それで最近、2人目産んだから名前考えてたんだよねー。理叶子みたいに、意味のある字にしたくて。」
「え、もう2人目なの。女の子?」
「いや、男の子。上は女の子なのよね。それで名前は、ムウくんにしたの。」
「む、う…?どんな字書くの?」
「”夢に向かって羽ばたく”って書いて、夢羽。どうよ。理叶子みたいに素敵でしょ?」
理叶子みたいに、素敵。

私たちはカフェを出て、梨香子が子ども用のムヒを買うつもりだと言うので薬局へ向かった。赤ちゃん用品はまとめて置いてあると予想し、おむつやベビーパウダーのコーナーを見たがムヒは見つからなかった。
ムヒを求めて店内を歩き回っていると、化粧品コーナーへ迷い込んだ。高校時代を思い出す。帰りに寄り道して、少ないお小遣いでちょっとずつ集めたコスメたち。”小悪魔の香り”のキャッチコピーに惹かれ、背伸びして買った練り香水はいつの間にか消えてしまった。あんなに流行った香りつきリップクリームも、今はゆずの香りとはちみつの香りしか売っていない。甘ったるいいちごの香りがするリップクリームが恋しくなってきた。ウロウロしていると、大きなPOPが目に飛び込んでくる。
「これ、私まだ使ってるよ。マシュマロフィニッシュパウダー!!」
後ろからついてきていた梨香子が商品を手に取る。パッケージが気持ち小さくなったそのパウダーは、私と梨香子がはじめて一緒に買ったコスメだった。バラエティショップで働いているクセに、客として商品を見ると新鮮に感じた。私も商品を手に取る。
「久々に見たけどやっぱりいいものは残り続けるんだね。しかも日焼け止め効果上がってるし。これ買っとこうかな〜。」
「あれ、忘れちゃった?この前あなたの店で私それ買ったじゃん。ラッピングお願いして。」
「え?これラッピングで買ったの?なんで?」
「姪っ子が誕生日だから、プレゼントにね。中学生になって、100均の化粧品でメイクしてるんだって。これ詰め替え用も売ってるし丁度よさそうだから。安いし。」姪っ子もいるんだ。
「私もこれ買うわ。成分良くなってるしまた使お〜。」
結局ムヒは見つからなかったが、梨香子と私はお揃いでパウダーを買った。

「旦那に子ども任せてるの、不安だから」薬局を出た後、梨香子は地下鉄に吸い込まれていった。ひとりになったので、コンビニのトイレでさっき買ったパウダーを開ける。パフが前よりふわふわになっていて、しっとりしているのが感じられた。
顔に塗ってみると、女子高生の頃と同じ、マットでふわふわな肌になった。あの頃より乾燥気味の肌だけど、変わらず私を女子高生にしてくれた。
毎日の仕事用メイクでは、態度の悪い客にナメられないように、ツヤ肌に太く長いアイラインをひいている。でも時間がないから、眉毛だけはしっかり描いて、マスクで隠した唇には何も塗らない日がほとんどだ。

女子高生の頃は、日焼け止め、パウダー、先生にバレない程度の眉毛を描いて、いちごの香りのリップクリームを塗る。仕上げの練り香水を手首に仕込んで、自転車に乗って登校する。
メイクが大好きで、たくさん研究していたあの頃の私は、確実に素敵だった。夢に向かって羽ばたく、理想を叶える子だった。
将来は化粧品を開発して、たくさんのコスメに囲まれながら仕事するんだと、徹夜で資格取得の勉強をしていた。私みたいに、毎朝素敵になれる魔法道具を届けたい。理想のために睡眠時間を、お金を削って駆け抜けていた日々が蘇ってきた。

理叶子みたいに、素敵。
あの頃の私を素敵にしてくれたのは、メイク好きになったのは、梨香子とお揃いで買ったこのパウダーだったのかもしれない。使うまで知らなかったメイクの凄さ、おもしろさに気付かせてくれた。

大学デビューに成功した女の子たちに囲まれて、膨れ上がった劣等感。ナチュラルメイクが流行りだして、整形をする子も増えてきて。”化粧の濃いブス”になってしまった私は、理想は勘違いだったのだと、全てを投げ出した。化粧品の開発に従事する夢を諦めてしまったのだ。

「でも、諦めきれなかったから今の仕事に就いたんでしょう?」
「え」
強く語りかける声がトイレに響いた。
「今だって、キラキラのコスメに囲まれて仕事してるじゃん。私すごく嬉しいよ。新作もいち早く手に取れるし、外国のも最近入荷増えてるよね。私の頃はなかったのに!!」
私は、手の中の丸いパウダーケースを見つめる。
「それに、転職のためにお金貯めようとしてるでしょ?虚しい生活が続いててしんどいからなのかもしれないけど、私はチャンスだと思ってるよ。」
ケースの鏡の中から、女子高生の私は続ける。
「理想、叶うよ。私はまだ、ここにいるよ。」
少女はふわふわの柔らかいほっぺを大袈裟に動かして笑った。
私もつられて笑った。

仕事の日は見ることのない夕日を眺めて家まで歩く。ビルの隙間から飛び出たカラスの翼が、夕日を受けて奥深い緑色に輝いた。27年生きてきて、こんなに身近な生き物の輝きも知らなかった。
私自身も、自分の輝きに気付かされたのだった。


少し早めに起きて出勤準備をする。日曜日の朝はきまって渋滞するので、少しでも避けるため早めに家を出るのだ。
赤信号に止まっている時、カメムシを見つけた。フロントガラスに張り付いてこちらを覗いている。
彼が今日1日どんな旅をするのか、私の車でどこまで運ばれるのか。彼の小さな冒険を想像しつつ、変わる信号に合わせてゆっくりとアクセルを踏んだ。

この記事が参加している募集

買ってよかったもの

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?