科目数の少ないカリキュラムをどう作るか(1)

これまで、私は前任校と現任校のどちらもカリキュラム改革に携わりました。どちらも科目を大幅に削減したカリキュラムを作ることができました。また、前任校の法学部では、2012年に策定したカリキュラムはいまだに改定されていません。そういう耐用年数の高いカリキュラムを作ることができたのは、一つの成果だと思っています(もちろんカリキュラムは一人で作るものではありません。カリキュラムはチームとしての成果です)。

ところで、最近、そんな「スリム」なカリキュラムをどうやって作っていけばよいのか、ということを尋ねられることが増えてきました。特に、「スリムなカリキュラムを作るうえで、どのように学部内・学内のコンセンサスを作っていけばよいのか」ということは、私の経験談として語れることが多くあります。そこで、カリキュラム改革の記事をしばらく書いていこうと思います。

求められるアウトカム・ベースのカリキュラム

現在の大学教育改革の主流となっている考え方は、簡単にいえば、「アウトカムを重視する教育」です。大学4年間を通じて学生が身につける知識やスキル・態度を明確にして、その方向で教育を編成しようということです。

このような「アウトカムを重視する教育」は、15年ほど前までは日本の大学ではほとんど意識されていませんでした。当時の大学は、偏差値やブランド名、学部名から連想されるイメージ(「経済学部だったら経済学を勉強するんだよね」)に寄りかかっていました。つまり、アウトカムに対する意識があまりに弱かった、それが日本の大学の大きな欠点だと指摘されていました。

そこから、現在では、「3つのポリシーの策定と公表」が義務付けられるようになってきました。そうなると、カリキュラムとは、ディプロマポリシー(出口)に向けて、学生を育成するためのロードマップとして理解できます。道筋がはっきりした系統だったカリキュラムによって、入学した学生をDPまで引き上げていく。それが現代の大学カリキュラムのイメージです。

アウトカムを意識すると、カリキュラムは当然ながら「選択と集中」に向かうはずです。「ウチの学部は、こういう知識とこういうスキル・態度を身につけさせ、こういう人材に育てる学部だ」という方針が明確になれば、その方向に教育資源を集中させるのは当然です。それがカリキュラムにあらわれるはずです。

理想のカリキュラムとは、次の4つぐらいに集約されます。①「出口(養成したい人材像)」に向けて、何をどこまで教えるか明確になっていること、②学生を一歩一歩育成するための科目の並び方(系統)が明確であること、③履修する科目の難易度が徐々にあがっていき、学生が身につける力が段階的に高まっていくようになっていること、④そのカリキュラムの意味や意義を学生も理解できること

そうなると必然的に「シンプル」で「スリム」で「分かりやすい」カリキュラムが望ましいということになります。選択肢(科目数)が多いと、学生は、履修の途中で迷子になる可能性が出てきます。履修の仕方によっては、DPの水準に到達できない学生も出てくるでしょう。

科目数が多いカリキュラムがなくならない理由

しかし、現実には、多くの大学では、まずは「科目数が多すぎるカリキュラム」に悩まされているようです。「カリキュラム改革を進めても科目が減らない」という声はよく聞きます。「カリキュラムは自己増殖する」と言われます。日本の大学のカリキュラムの最大の問題は、まず、「科目数が多すぎる」という点にあるのではないでしょうか。

なぜ科目を減らすのが難しいのでしょうか? まず、大学教員は、カリキュラムを学問体系から考えてしまいがちという点が挙げられます。「◯◯学部って言うんだったら、せめてこれくらいの科目は必要だ」と、科目数が多いことが学部のプライドだという考え方からなかなか脱却できません。他にも、「◯◯先生の科目だから」と言って、学部の方向性とはあまり関係ない科目が存続し続けることもあります。

それとは別に、現代では、どの学部にも次々と新しい教育が求められています。キャリア教育、地域連携、産学連携、PBL、リメディアル科目等々。「競合校や近隣校でやってることをなぜうちでもやらないのか」「社会と接続した科目がなぜ少ないのか?」 経営サイドや産業界からのこういった声に抗することは、難しいことです。こうしてどんどん科目数が増えていくのです。

「科目数が少ないカリキュラムは学生の自由な学びを阻害することになる」という考え方をする教員も多いようです。科目数が多いカリキュラムは、一見、学生の選択の自由を高めているように見えます。

また、教員は、カリキュラムの科目数が多いと、学生がそれだけたくさん勉強するような錯覚を持ちがちです。カリキュラムの科目数が少ないと、それだけ学びの内容が薄くなるとつい思ってしまいます。

科目数の多いカリキュラムの弊害

しかし、科目数の多いカリキュラムには、数々の弊害があります。一見科目数が多いことは良いことのように思われがちですが、実はそうではないのです。

実際のところ、学生の学修時間は要卒単位に制約されます。文系だと多くの大学の要卒単位は124単位です。共通科目で50単位〜60単位、専門科目で60単位〜70単位が卒業に要する単位数というのが、多くの大学で取られている方式だと思います。それに、今はCAP制が導入されている大学が多く、履修科目数の上限が学年ごとに決められていることが普通です。

したがって、現代の大学では、カリキュラムの科目数が200科目あろうが300科目あろうが、学生が卒業までに履修する総科目数はせいぜい70科目程度です。専門科目だけだとゼミを除けば30科目しか履修しないのが一般的なのです。カリキュラムの科目数が多くても、学生がより多く履修できるわけではありません。

教務に携わっている教職員にとっては、科目数が多いことの弊害は明白です。非常勤依存が高くなり、コストが増えるだけではありません。最大の問題は、時間割編成が難しくなることです。科目数がいくら多くても、大学が月〜金の1限〜5限の時間しかない限り、結局いろんな科目を同時間に重ねることになってしまいます。そうなると、学生が取りたい科目が思うように取れない可能性が高まります。特定の科目(時間割のゴールデンタイムにあるとか)に履修者が集中する一方で、ほとんど履修者がいない科目が続出するといったことも起きがちです。

多くの普通の学生は、自分の時間割がいい具合になるように履修します。つまり、カリキュラムの求める順番で履修するというよりも、時間割の都合で、科目を選びます。「このままだと月曜日の2限が空くからここになにか入れよう」「今年はゼミがない水曜日を授業を入れない曜日にしよう」といった具合です。科目数が多いと、こうした履修が容易になります。その結果、虫食い履修のリスクが高まります。

また、例えば同じ時間に、「履修を推奨されるシビア科目」と「系統とは関係ない楽勝科目」の2つが並んでいたら、学生はどちらを履修するでしょうか? 誰だって楽勝科目を取るでしょう。それはサボろうという意識だけではありません。最近は、奨学金や留学制度など色んな場面で、GPAを重視するようになっています。そんな風潮の中で、わざわざGPAが低くなる可能性のあるシビア科目を履修しようという学生はいないでしょう。とある大学は、ちょっと前にGPAが一定以上じゃないと卒業させないという制度を導入したのですが、その制度は数年後に崩壊していました。科目数の多いカリキュラムのまま、そういう制度を導入したからです。

科目数が少ないスリムなカリキュラムがいいというのは、大学教育改革に携わっている人だったら、多くの人が了解していることです。しかし、実際には、そういうカリキュラムを実現するのは、なかなか難しいのです。

ではどうすればよいか? 少しずつ書いていく予定です。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?