賽の河原和讃

「賽の河原和讃」
もし未読の方があれば一度読んでいただきたいのですが、涙なしには決して読めない悲しいお話です

お読みになりましたか?それではお話を続けます。
この和讃は、地蔵菩薩の功徳をたたえるものですが、それと同じくらい重要な目的があるように思われます
即ち嬰児をなくした親への慰めです
和讃の中で、子どもたちは筆舌に尽くしがたい、そして理不尽な苦しみと悲しみに襲われます

賽の河原で、子どもたちは石を積みます。
現世にある父母兄弟への祈りの為です。
しかし日暮れに鬼がやってきて、そうして積み上げた石を崩してしまうのです。
子どもたちは、悲しくて手を合わせて土下座して許しを請うのです。
鬼が消えた後も、父母が恋しい子どもたちは、山の風の音がすれば父かと思って山を駆け上り、谷の流れを聞けば母かと思って馳下ります。しかし両親はいません。手足から血が出て疲れ果て、砂の上に石の枕で眠ります。

書いていて涙がまた出てくるほど悲しい話です。
和讃ではこの後地蔵菩薩が現れ、自分を親と思って頼るのだぞと親しく説き、彼らを連れていくという終わり方をします。

一見これだと地蔵菩薩の功徳をたたえるだけにも思えますが、違和感があります。それはこれを読んだ人が皆口をそろえて言うほどの、しつこいほどの子どもたちの苦しみの描写です。単に地蔵菩薩の功徳を際立たせるためにしては、あまりに執拗と言えます。それこそ、死んでしまって一人賽の河原にやってきて、同じ境遇の子どもたちで悲しんで涙を流しているという描写でも、苦痛からの救済という段階を踏むので、功徳を示すことができるはずです。また、この描写があまりにも過酷なうえに執拗なので、地蔵菩薩の功徳を示すというよりは、むしろ子どもたちの苦しみ悲しみのほうに焦点が合ってしまいます。

私が思うのは、この苦しみのほうに読者の焦点を合わせるというのがこの和讃の本来の目的だったのではないか、ということです。
鬼が積んだ石を崩すとき、子どもたちにいう言葉があります。「お前たちの父母は、お前たちを供養することもなく、ただ悲嘆にくれて泣いている。親の嘆きはお前たちが苦しみを受ける理由になるのだ」。この言葉は明らかに異質です。そこまで、そしてそこから一貫してあの世のお話として我々に介在の余地がないのに対して、ここだけは我々に介在する余地を残しているのです。つまり、幼い子どもを亡くした親は、もし嘆き続ければ子どもたちは苦しみを受け続けるが、嘆くことをやめて供養したならば、子どもたちは苦しみから救われる、ということです。子どもを亡くした、それも幼い子となると、親の悲しみ、苦しみは想像を絶するものがあります。また、死別は悲しみ悩んだところで解決できる問題ではありません。そんな問題について考え続けることは心身に悪い影響を与えてしまうでしょうが、幼子を亡くした親は、「悲しんでばかりいないで、普段通りの生活に戻るべきだ」などという尋常の言葉など受け入れられないでしょう。そこで、亡くなってしまった子どもと、子どもの非常な苦しみ悲しみを引き合いに出し、それが親である自分たちのせいであると描写することで、この言葉に対して強い重みを与えたのであろう、と思います。
この和讃ができた当時は、今とまったく違って、宗教が人々の意味基盤としてかなり強い意味を持っていたころです。そう考えると、この和讃は「幼子を亡くした親の悲しみはわかるが、いつまでも悲しんでいては子どもが救われない。なので早く悲しみから脱して懇ろに供養し、日常に戻ることが子どもにとって最善の道である」と説いているように思えるのです。最後に地蔵菩薩が子どもたちを救うのも、もし普段通りの姿に戻るのが難しくても、地蔵菩薩が救ってくれると逃げ道を残したものと思えます。

結論。賽の河原和讃は、地蔵菩薩の功徳をたたえるという目的の他に、実際に幼い子どもを亡くした親に対してのメッセージとしての要素を持つと考えられる。

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