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【コラム】嫌いを探さず、好きを選ぶ。

□選択肢が増える事と、知識が増える事と。

踊りを踊りたいのは確かだったが、何を踊りたいのか。
踊りたい踊り。踊りたくない踊り。果たして何が向いているのか。

15才で初めてダンススタジオに通い始めた頃、ミュージカルに憧れてダンスを志した僕は、おそらくジャズダンスやバレエがやりたいのだろうと思い入会したもののあまりのジャンル多さに驚く。

ミュージカルの中に出てくるダンス(僕はCATSが全てだったので)バレエ、ジャズダンス、タップこの3つを習得しようと、意気揚々とスタジオの門をたたいたのだが、ジャズダンスひとつとっても、先生によりかなりイメージが違い。
「CATSはこんなに派手に腰を振って髪を振り乱さないはず」「CATSはこんなにパキパキ動かないはず」「CATSは....」と、とにかくダンススタジオでミュージカルCATSを探すはめになるのだ。

なかなかCATSにめぐり会えずに過ごす中、あの先輩の踊り素敵だなぁー、とかあの先生の振付素敵だなぁーとか。
スタジオに通うまでは見たこともない動きや、感じた事のない高揚感が僕をダンスに引きずり込んでいった。

当日YouTubeなどなかった時代、DVDを借りたり、受けたこのない先生のレッスンに見学に行ったり、ダンス公演を観に行ったり、少しずつ増えるスタジオの友達や先輩と話をしたり。僕の中にどんどんダンスの種類に関する知識が増えていった。
ヒップホップはカッコいいと思うが、鏡の中の自分をどうにもこうにも好きになれずに退散。
タップは観ていた時のような軽快なワクワク感が自分の足首からは感じられずに退散。
バレエは周りのお姉さま達のレオタード姿に妙に緊張してしまって退散したり、出戻ったり。

CATSに憧れてダンスを始めた少年は、増える知識の中で、出来ない事と、そうでない事を振り分けるので必死な日々を送った。

□選らばない罪、選ばれない罰

23歳で上京。札幌よりも更に増える情報の中ますます出来ない事が増え。イヤな事が増えてくる。

特に仕事の当てはなく東京に来た僕だが、ダンスのお仕事をしている人が多い東京。自分にも何か接触事故のように仕事が舞い込んで来るのではないかという、なんともフワフワした期待だけは常にある日々だった。

札幌では色々なチャンスを頂き、踊る機会を沢山与えてもらっていた僕は、技術以上に無駄なプライドを積み上げてしまったらしく。
東京ではレッスンを受けるでもなく、これは踊りたくない(踊れない)ダンス。
この種の舞台には出たくないなぁ。
など自分の中でそこにいない自分に言い訳しながら過ごす暗黒期を向かえるのだった。

ダンス雑誌を見ては、なんでこの人が取り上げられて僕は違うんだろ(当たり前である)、僕だって出来るはずなのに。
出来ないかもしれない事に手を出さずに、出来るはずだと自分を過大評価して、自分のプライドを守る事に必死だった。

踏み出さない人間を見つけてくれる人などいるはずがなく、こうして何かを選らばない僕は、人から、仕事から選ばれないという罰を受けることになる。

□23歳からのイヤイヤ期

通常2歳半ばくらいから始まるといわれるイヤイヤ期。
どうやら特に反抗期もなかった僕は、東京でイヤイヤ期に突入していたようだ。

あんなにもミュージカルに出たいとキラキラしてい少年は、
23歳でやりたくない事を見つけては酒を飲み、愚痴を溢す青年になってしまっていた。

長く東京にいることで少しずつ頂く仕事も、なかなかキラキラと取り組む事が出来ずいつも少し引いてその場にいる事が、格好よくて、正しいのだと思っていた。

そんな僕に見かねたのか、札幌の恩師がシルク・ドゥ・ソレイユのオーディションを紹介してくださった。

シルク・ドゥ・ソレイユに行く。なんて事を思ったこともなかった僕は久しぶりに、嫌かそうでないかの判断も付かないままオーディションへ向かった。

オーディションはとにかくとにかく何時間も踊らされた。
僕を選んでくれない東京。僕に優しくしてくれなかった東京からなんとか脱出したくて必死で踊った。

結果としてはこのオーディションに受かり、数ヶ月後には日本を出て、本社のあるモントリオールへ。
そして2年間ラスベガスでシルク・ドゥ・ソレイユの舞台にたったのだが...

救いようのない僕は日本を出てもキラキラ出来ずに、
なんでこんな事やってんだろ。なんであいつなんだろ。
僕は出来るはず。これはやりたくない。

今となっては本当に貴重な体験であるが、当時は地獄のようだった。

帰国した、僕はさすがに自分に疲れていた。

外から見ると、あんなにキラキラしているシルク・ドゥ・ソレイユでキラキラを感じられなかったのは、さすがに自分のせいなのである。
離れて再び外から見と、それは変わらず輝いていた。

□嫌いを見つける癖と。好きを見つける能力。

このまま終る訳にはいかなかった。自分がやりたかっただけなのに、選ばれない事を嘆く事をまずやめなくてはならなかった。

やりたくない事を見つけ過ぎた僕には、もう一度あの日のようにやりたい事を見つける事が必要だった。

23歳から31歳までイヤイヤ期真っ只中だった僕は、それよりも前の事を思い出す事から始める事にした。

学芸会は必ず劇に出たかった、家でおばあちゃんとおじいちゃんの前で踊るのが好きだった、目隠ししてピアノを弾いて家族を喜ばせた、1人部屋でレゴブロックで舞台を作った、母親がチャップリンのビデオを見せてくれた、母親とテレビでイッセー尾形の一人芝居を見た、テレビで1人古舘伊知郎のトーキングブルースを見た、CATSを何度も観に行った、ダンスを始めた。

突然僕のイヤイヤ期が終わった。

帰国して程なく1人でパフォーマンスをやってみた。
沢山喋って、踊って、嬉しかった。

あれから7年、やはり嫌を探してしまう事もあるが、
やりたい事を見つけられた事は大きく、いつしか選ばれないを愚痴る事も減り。
期待はしてはいけない、自分が選んでいることを忘れてはいけない。

焼き肉は食べたくないから、寿司を食べに行くデートより。
寿司を食べたい!デートの方がいいに決まっている。

ダンス劇作家
熊谷拓明

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ダンス劇作家『熊谷拓明』

踊る事、話す事、歌う事、食べる事をスルスルと行き来するオリジナルジャンル『ダンス劇』を作って、 舞台を作って、自分で演じて。 2019/11/2~30 千歳船橋アポックシアターにて、一人ダンス劇を25日間40公演。 Webサイト odokuma.com
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