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カラカラになってみる

文章を書くということは得意ではない。
デジタルな器機にも疲れやすい。
本当は毎日さらさらと書きたいのだけど、
言葉のつなぎ方とか雰囲気とか
文字数とか色合いとか
さまざまなことが気になってしょうがない。
間違えを恐れているより、方向が見えないまとまりがないのがモヤモヤする。

書いたことは伝わるだろうか、
誤解が生じにくいだろうか、
変に傷つけていないだろうか。

書き終わる頃にはカラカラになっている。
それでも何度も読み直して、
気になるところを1つずつ直していく。

絞り終わったレモンのよう。
それでもついている実を
つぶすなりとってあげるなりして
ちゃんと活かしてあげたい。

毎日こんなだから、
あるとき急にすべてが燃えきって空っぽになる。
文章を書いていた目的、noteをしている意味、
頭がぼんやりして泣いたときみたいにゆがんで
次第に見えなくなる。

中断はいやだ 、毎日きちんとやりたい、
楽しくやりたい、
ためになることを書きたい、
そうだけど、そうなんだけどね。
義務に感じちゃうのはあまりに辛いよ。

こういうときは自由気ままな時間を過ごして、
外にあるキラキラを発見するまで
いっさい手をつけない。

やっぱり時間をかけて失敗を経験して
何度もトライするしかないんです。
ちょうどよい加減が見つかるまで。

うん、途中3回寝ちゃったけど、
noteの記事にまとまりがなくて
やっぱりモヤモヤしているけど、
1つ書けたからいいや。

また、キラキラしてきたら
いろいろ書いてみよう。

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