幸福洗脳ショートストーリー

中田敦彦さんが手がけるファッションブランド『幸福洗脳』。
その初期に、ラジオのリスナーから募集した架空の四字熟語をデザインとして採用していたことがありました。
素人漁業、とか、板垣退助、とか。
あと、幸福洗脳カードゲームを作りたい、という話もそのラジオでされていました。
というわけで、その頃に(なぜか)書きかけていたものです。
(なぜ書いていたのかは思い出せないでござる)

***

「今日はなんの手品を見せてくれるの?」

 私は尋ねた。
 がやがやとした喫茶店。コーヒーは飲めないからいつも砂糖たっぷりのミルクティーを頼む。
 彼は毎回エスプレッソを注文するが、それに口をつけたところは一度も見たことがない。

「今回は手品じゃないんだ。簡単なゲーム、のようなもの、とでも言ったらいいかな」

 小さなテーブルに向かい合って座る彼の手元には、トランプみたいなカードの束があった。
 つやつやした厚手のコーティング紙、いやプラスチック製だろうか。
 真っ黒な裏面は白い小さなハートマークで縁取られ、真ん中に大きくグニュグニュとした左右対称の物体が描かれている。
 そのイラストを少し気持ちわるいな、と思い、しかしどこか心惹かれる自分もいた。

「それはトランプ?」
「『架空四字熟語』って知ってる?」

 なめらかな指先がカードをシャッフルする。
 質問の答えはストレートに返ってこない。いつも通りだ。

「知らないよ」
「だろうね。『特注品』だから、これは」

 そのままカードが配られた。
 私、彼、私。
 彼、私、彼。

「見てもいい?」
「どうぞ」

 彼の言うーー『熟語』の意味がわかった。

 天国。深海。虚構。
 大漁。絶妙。苦悩。機構。
 歯車。羽化。魅惑。
 潜伏。旋風。牢獄。戦略。

「なんなの? これ。いつものオシャレな手品と全然違うし……」
「ははは」

 彼は豪快に笑った。
 繊細な人なのに笑うときだけは豪快なのだ。そんなところが私は好きでもあり、時たま恐ろしくもあった。

「お洒落じゃないかい? 本当にそう思う?」
「うーん、……あ」

 私は気づいた。
 カードの真ん中には、黒く濃く、異質さすら感じさせる書体で漢字の熟語がしっかりと刻まれている。
 しかし、その横に添えてあるのは不釣り合いなほどに可愛いイラストなのだ。
『天国』には羽の生えた天使の。
『大漁』にはユーモラスを感じさせるほどのサカナの。

「これ、あなたが描いたんでしょう?」
「このゲームには明確な勝敗があるわけじゃない。カードを配られた者同士がコミュケーションを楽しむための遊戯だ」

 質問を笑顔と言葉で封じられる。

「ふうん……」
「配られたカードから二枚を選んで、一枚ずつ場に提示する。そして架空の四字熟語を作る。全員が提示し終えたら、一番優秀な作品を作った人が勝者となる。きわめてシンプルなルールだ」
「その、一番優秀な作品というのはどうやって決めるの?」
「明確な指針があると思うかい? それをコミュニケーションで決めるんだよ。このゲームに勝敗がないと言ったのはそのことさ」

 わかったようなわからないような。
 全ては煙に巻かれる。

「もちろんもっとゲーム性を持たせることもできる。一回勝負ではなく、あらかじめラウンド数を決めるといった、ね。前の人が出した一枚目に、次の人が二枚目をかぶせるバージョンもある。しかし、基本ルールは先ほど説明したとおりだ。一人が、自分の手札の中から二枚を選ぶ。上下の順番も重要だ。試しに、ちょっとやってみよう」
「わかった」

 私は答える。
 どのみち、私に彼を拒否する道などないのだ。
 今日だって言われるがままにこの喫茶店に来た。
 指示されるがまま、髪を黒く染め、黒いイヤリング、黒いチョーカーを身につけ、無地の真っ黒なTシャツを着て真っ黒なパンツを纏い、真っ黒な革靴を履いて、彼の目の前に座っている。

「まずは君から。好きなカードをどれでも一枚出してごらん」

 手持ちの札を眺める。
 漢字二文字の羅列を眺めていると、どれがどんな意味を持つのか、だんだんあやふやになっていく。

「これ……かなあ」
「良い趣味をしているね」

 私が出したのは『楽園』。
 幸いなことに彼のお眼鏡にかなったらしい。

「そしたら、それに繋げて面白そうなカードを探すんだ。すでにある四字熟語じゃいけない。少し奇妙で、ねじれていて、だけれど思わず納得して笑ってしまうようなのがいい」
「難しい!」
「ははは」

 彼はまた豪快に笑う。そして「まあ、最初は気楽に」とそう言った。
 しばらく逡巡した私が結局場に提示したのは『炒飯』。

『楽園炒飯』

 彼はくすりと笑うのみで真意はつかめない。

「次は僕の番だね」

 扇状に並んだカードの中から、彼は迷いない手つきで一枚引き抜いた。
 ひらり、と場に提示する。

「期せずして君と似た意味のファーストカードだ」

 私はその文字とイラストを見つめた。
 黒々と刻印された二つの漢字。そしてその横に描かれたのは、目隠しをされ、前を向く、一人の少女。
 熟語の意味との非対称性に戸惑っていると、彼は次の一枚に手を添えた。

「そしてこれが、僕のラストカード」

 完成した。
 目隠しをした少女に突きつけられた、精巧なリボルバー。
 私は呟く。

「『幸福、洗脳』」
「そうだ」

 彼は答えた。

「君は、この架空四字熟語の意味を、もうとっくに知っているだろう?」

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