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母の死と私と息子2

春に母を亡くしてから半年ほどたった。
あっという間に初盆がやってきし、不慣れながら不十分ながらそれを終えた。

母が亡くなって暫くは、それでも変わらず過ぎる毎日を、浜辺で寄せては返す波を見るように眺めていた。
これからは『母のいない日常』が当たり前のものとなり、毎日静かに満ち引きを繰り返していくのだと思った。

でも実際はそう簡単なものではなかった。
母の死によって生じた亀裂は、見えないところで時を追うごとに広がりつつあるらしい。

亀裂はできたものの、その後は変わらないように思えた日常は、
彼女が不在であることに起因する圧力にじわじわとあてられて揺らぎ、
亀裂は大きく口を広げて私達家族は飲み込まれそうになっている。
母の死は、世間的には小さな死に過ぎないかもしれないが、我が家にとって未曽有の大災害だったのだ、紛れもなく。

母という要を失い、家族はほとんどバラバラといってもいい状況だ。

母はうちの大黒柱だった。
ずっと彼女が私達を不自由なく生活させてくれて来た。
彼女が居なくてはまともに生活できる私達ではなかったのだ。
そんなことに、ここに至るまで気づけなかったことが、情けない。

父も私も兄弟達も、自分の生活の事しか心配できない。
全員のことを考える余裕がない。
なんなら、末弟と父など、この期に及んで誰かが自分の生活を何とかしてくれると思っているらしい。
仏心で手を差し伸べたら、容赦なく重荷を持たされる予感で動けなくなる。

確かに予想通り静かではあるが、崩壊の兆しをはらんだ静けさ。
普通の家族だと思っていた。
ちょっとヌケたところもあるけど頼れる母。
稼ぎは悪いけど、人間としては悪い人ではない父。
ケチだけど悪い奴ではない弟一号。
頼りない末っ子だけど手に職つけて頑張っている弟二号。
そして私。
私達ってこんなにダメな家族だったのかと、目が覚める思いがしている。
母が私達から目隠ししていた、そしてそのお陰で知らずに来た大きなほつれがあったことに、今更どうしようもなく直面している。
それはもはや隠しようもない現実としてそこに口を開けて、私達を飲み込もうとしている。

毒親、という表現をネットで見ることがある。
私には無縁だと思っていた。
確かに小さい頃は貧しかった記憶もある。
でも食べるのに困ったことはないし、肉体的にも精神的にも暴力を受けた記憶もない。
勉強だって好きなだけさせてもらったし大学も私立で下宿させてもらった。
(なんという贅沢!)

だけど、一歩間違えたら、母が居なかったら。
そういう家だったんだと今更ながら気づいて慄然としている。
母があまりにも飄々とそれをやってのけていたから、
愚かな私はそれに気づかなかった。
それどころか、母が父を気遣うから、自分も大人になったのだからそうしてあげるのが良いのだろうと、大人になってからは努めて振舞ってきた。
離れて暮らしているから出来たことだと思うけど、今思えばそれでよかったのか?
もっと正面から父を糾弾して己のダメさ加減をしらしめてやるべきではなかったか?
父が正面からダメだしされて素直にそれを受け入れるとも思えないが。

私達は、もとい、私は(ほかの家族に水を向けて変わってもらうことは出来なかっただろうと考えて)、どうしていたらよかったのか?
母の死から時間が経つほどに、寄る辺ない思いは広がって行く。

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