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仕事のこと20.こどものせかい

人付き合い。
いくつになっても正解が分からない。
きっと、これからの人生を生きても、答えは見つからないのかもしれない。
ただ、年を重ねると、なんとなく相手との距離感とか、居心地の良さとか、そういうモワモワした雰囲気で、間合いを取ることはできるようになる気はする。
学生から社会人になり、出会いの数が増えれば「世の中、そりが合わないなって感じる人もいるよね」と、ひとり静かに頷けることもできるようになる。

子どもたちには子どもたちの世界があって、その中にも人付き合いはしっかりとある。子どもだからとナメてはいけない。

さっきまで取っ組み合いになって、お前となんか一生遊ばない!って泣きながらに叫んでいたのに、30分後には一緒にサッカーボールを蹴っていたりして、あの絶叫と涙はなんだったんだろう?と思うことも、しばしば。
昨日までは一番の親友だったのに、言葉の選び方や、態度の表し方がほんの少し引っかかって、今日は敵にしか見えない、そんなこともある。
友だちって、複雑だ。


仕事中、よく、こんな場面に出くわす。
体育館の隅っこに、グラウンドのはるか遠くのフェンスの裏に、こちらに向く背中がぽつり。
ほんの少しそっとしておけば、大抵、くるっとまた顔を向けて走っていくのだけれど、一方、背を向けているにもかかわらず、『わたし、ここにいるのよ!』という大きな心の声が聞こえてくる背中もある。
そんな小さな背中を見つめていると、時折、こちらをふり返り、もの言いたげな視線がバチン。目が合った。

隣に座って、何があったのか聞いてみると、「一緒に遊んでくれる友だちがいない」と言う。
一緒に遊んでいた友だちが、他の子が仲間に入ったら、その子とばかり遊んでいる。しかも、けっこう楽しそう。最初、一緒に遊んでいたのは自分なのに。あまつさえ、あとから入ってきた子に、投げやりな態度を注意なんてされようものなら、悲しい気持ちにより深く沈みこんでしまって、もう抜け出せない。
一緒に遊んでいた友だちを取られたうえに、場の主導権を奪われたような憤りがあるのだろう。
かといって、周りの子どもたちは相手を裏切ったり、意地悪をしているわけではないし……。原因と結果に責めどころがない状況に、みんなが顔を見合わせている。

子どもでも、大人でも、一人一人の人間だから、感じ方や価値観や、考え方もお互いに全部を完璧に理解することは出来ない。

だからこそ、言葉や態度で歩み寄ったり、試したり、ぶつかったり、あきらめたり。得るモノ、手放すモノ、試行錯誤を積み重ねていく。相手へのアプローチを考える時間は、自分自身と対峙する時間でもある。
人と関わる、関係を築く、って誰に教わるでもなく始まって、一生続いていく。生きる糧になることもあれば、心に傷を残すほの暗い黒歴史になることも。それでも、社会の中で生きていくのに必要な高度で複雑な機能。
子どもの世界でこれらの葛藤と出会うたび、自分のなかにある思いが呼び起こされて、私が私と向き合う時間が生まれる。
しかしまぁ、最近、自分との向き合い方が下手になってるんじゃないか、と感じる瞬間が増えてきた。自分の心と頭の中身を棚卸して、整理する時間が必要だよ、って言われているような気がしている。


子どもたちが自分の感情を全面に、素直に突き進む様子を見ていると、今の私には真似できないと実感する。泣きながら、怒りながら、納得できないことは承服しかねる!と突っぱねることも、思い通りにならない現実に背を向けて逃げることも、自分の思いや意見を口にすることも、勇気と根性がいるから。

だからといって積極的にケンカをしたいわけではないし、手当たり次第にぶつかり合うのはストレスしか生まないと思うのだけれど。もう少し心も身体もフラットな状態で自分もいたいし、子どもたちにもそうであってほしいと思う。

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