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母の日だったけど

大学の卒業旅行は一人でイタリアとスペインに行った。

初めての海外旅行で10日間一人だった。

大きなスーツケースを成田から電車に乗って新宿からバスに乗って

国分寺の駅から20分以上歩いてやっと家に帰った。

やっとついた〜。眠たい!

帰りの飛行機の中は熟睡できなかった。

「ここで墜落したら誰も骨を拾ってくれないよなぁ」

そんなことを考えて全然眠れなかったから。

なんだかんだ言って、心細かった。

やっと家について

ゆっくり寝よう!と思っていた。

そうしたら私を出迎えた母が

「遊びに行ったんだから、疲れたって言わないで」

一言そう言った。

それ以来、

遊びに行ったり、自分の好きなコーチングの仕事をして遅くなったりしても

私は「疲れた」と言えなくなった。

しまいには、

会社での仕事がきつくても、子育てをしていても

それは自分のことなんだから「疲れた」とは言えなくなった。

じゃあ、いつ疲れたって言えるんだろう?と考えたりもしたけれど

あの時の母の言葉がトラウマとなり

疲れたと思っていても「疲れた」ということを良しとしなくなった。

だんだんそうなってくると

「疲れた」と感じること自体悪いことだと思うようになった。

そんな感じでここまで来た。


この間 とある人から

「疲れたら ちゃんと 疲れた!って言っていいんですよ」

「辛かったら辛いって言っていいんですよ」

そう言われた。

また、大好きな親友からも

「いいんだよ。疲れたって言って」

同じように言われた。

涙腺が壊れた。不覚にも。


言葉は形はないけれど

大きな形となって人の心に爪痕を残す。

それがトラウマにもなる。

母に言われたのは28年も前だ。

いい歳をして私はまだその言葉を引きずっていた。

間違っても母の前では「疲れた」とは言わないと思った。

もちろん

疲れた顔はしていたと思う。

でも

それを言葉に出すことはできなかった。

そんな私に「そのままでいいんだよ」とよしを出してくれた人が続けて現れた。

とても救われた。

きっと

とても救われたから

母の日にこんなことを思い出したんだと思う。

もう

封印しなくてもいいんだよねって。

ちなみに

母は私にそんなことを言ったことは覚えていない。

きっと

どこか虫の居所が悪くて

そんなことを言ってしまたんだろう。

でも

私はそれを30年近くも心に留めておいた。

いやいや

大切に取っておきすぎだよね。


形のないのもなのに

何かの形になって現れる。

それが言葉。

「そのままでいいんだよ」

その言葉は私にとって最強の言葉だと思う。

そして

その言葉を言ってくれる人たちは私の大切な人たちだ。



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