私がパラレルワーカーになった訳 3
その時の私の立場を説明すると、シングルマザーで大学生の子どもが二人。
コーチとしての仕事はあるけれど、やはり定期的な収入は確保しておきたいという気持ちが強かった。
しかも子どもたちは実家から通っているわけではなくて、それぞれに仕送りもしなくてはいけなかったし。
去年の12月27日、明日が仕事納めという日。
私はハローワークにいた。
「コーチという経験を活かしたお仕事紹介するわ」
といわれて某大手の職業マッチング会社(?)に何度か通ったけれど
結局、
「あなたの特技を活かした仕事をハローワークに行って探してみたら」
と最後の最後で肩透かしにあう。
「あれ?最初の約束と違いますよね」
思わず言いそうになったけど、そんな元気もなくなって一人寂しくハローワークに向かった。
曇天で寒くて雪に足元を取られて(笑)
「なにやってんだろうなぁ。こんな暮れに」
ハローワークには私と同様、暮れなのに仕事を探している人が結構いた。
束の間の同志。
一緒に頑張りましょう!
そう思ったかって?
思う余裕なんかあるわけない。
でも不思議なことにあの会社を辞めたことを後悔はしていなかった。
後悔しているから余裕がなかったのではなくて、明日が見えなかったから余裕がなかったんだ。
ハローワークで数社を紹介してもらい、年明けには履歴書を送るという手筈をとって12月は終わろうとしていた。
そういうば14年前、離婚直後は夏だった。
あの時
「今、私は人生に谷にいる。これからは山になるしかない。」
なんの根拠もなかったが何故か頑張れる気がした。
ところが人生は上手くいかないもので、もう一度「谷」が訪れた。
そう、その時は「谷」だと思っていた。
今考えれば、「谷」ではなくて山へと続く長い坂道の途中だった気がする。
いや、より高く飛ぶために体を縮めざるをえなかったのかもしれない。
自分の人生の先が見えないまま年末を過ごす。
といいつつ、娘とダウンタウンの「笑ってはいけないシリーズ」を観て大笑いし、ワインをしこたま飲んで一年が終わった。
もしかしたら心のどこかで何とかなると思っていたのかもしれない。
なんやかや言ってお気楽な性格な私だった。
・・・続く・・・。
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