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障害とは何か - 乱立する障害者の表記。害は漢字か、ひらがなか? 障害を「持つ、ある」? -

こんにちは。

株式会社オフィスマッサージ代表の田辺です。

このnoteは福利厚生や障害者雇用にご関心ある企業の総務人事ご担当者の方々に読んでいただけたらと執筆していますが、障害者の就労にご関心ある中高生の方々にもぜひお読みいただけたらと思っております。よって全文を無料としていますが、よろしければサポートをお願いします。

2006年にオフィスマッサージ「手がたり」という事業を盲ろう者(目と耳の両方に障害がある人)と私は開業しました。なお、本事業を始めたきっかけは改めての回に譲ります。

そして、私は長年「障害とは何か」ということを考え続けてきました。

2002年頃に車椅子の障害者の方が、あるメーリングリストにて「害ではない。がいと表記してほしい」と訴えておられるのを拝見し、以来、私は昨年まで「障がい者」との表記を続けてきました。

ですが、昨年私は「障害者」との表記が適切ではとの考えに至りました。

と申しますのは、「社会に存在する障害を引き受けている人が、障害者である」という視点に気づいたのです。

昨年、弊社の全盲のマッサージ師が私に「田辺さん、この社会の物差しは健常者に合わせて作ってあり、障害者に合わせて作られていません」と打ち明けてくれた時に、私は「確かに」と同意しつつも、衝撃を覚えました。

例えば、駅のホームの端に点字ブロックがあります。

ですが、視覚障害者も盲ろう者も好んで、駅のホームの端を危ない思いをしながら歩きたくはないのです。

本当は安全にホームの中央を歩けるに越したことはないのですが、健常者に配慮して点字ブロックの設置は最小限となり、ホーム端となっています。

私たちの社会の側に障害があるとしますと、その障害をもし除去していけたら、障害者は「社会のお荷物」ではなくなります。

いえ、そもそも「社会のお荷物」を発生させてしまう社会は、社会システムの不備が発生しているとも考えられます。

どういうことでしょうか? 図にすると、下記になります。

全盲で音声読み上げソフトでこの投稿をご覧くださる方のためにテキストでも説明します。上記の図では社会という白い長方形があり、中央に障害者という黒い丸があります。色は白黒ですが、いわば日の丸の旗のようです。

障害者は社会ではマイノリティと位置付けられ、「福祉で支えよう」とテレビや新聞等でも報じられます。

ですが、上図でいうと中央の障害者という黒丸だけが注目されるのであり、「障害者年金はけしからん」という議論や、相模原障害者施設殺傷事件があったり、旧優生保護法に伴う悲劇も報じられています。

一方、下記の図のように視点を変えるとどうなるでしょうか?

音声読み上げソフトでご覧くださる方のためにテキストでも説明します。今回の図では社会という長方形は白から黒へ反転しており、中央の障害者という丸は白になっています。障害者の白丸からの吹き出しで障害者は「社会の障害を引き受けている人」と記しています。背景の長方形では「社会に障害がある」と記しています。

実は、私たち社会の側に障害があるのではないか。

2020年に東京パラリンピックがありますが、その有無に関係なしで、障害者への先入観や蔑視があることは、「社会に障害がある」と私は実感しています。

社会を一つのシステムとして捉えるシステム思考(Systems Thinking)や、日々のマインドフルネス(Mindfulness)を通じて、現場で考える中で行き着いた視点でした。

障害者問題とは健常者問題です。

なお、障害学(Disability Studies)という学問分野を私はお恥ずかしながら今年に入ってから知ったのですが、障害学でもこの視点は示唆されているようです。

この視点に立ちますと、障害者の「害」という表記を「がい」とひらがなにするのは、害はあるのにオブラートに包んでしまうようにも解されかねないのではと、かつて私自身が長年ひらがな表記をしてきたのに、今や違和感を覚えるのです。

そして、「障害がある、いや、障害を持つ、のどちらがいいのか」という議論でも、上記の視点を活用しますと、「障害を引き受ける」という表現が妥当のように私には思えてくるのです。

社会に存在する障害を除去するという作業は、広大なフロンティアでもあり、よって当事者のみならず、社会の広範の人々で手を携えて取り組める大きなテーマと思えてきます。

オフィスワーカーの方々が、社会に存在する障害を認識したり、感度を向上したり、除去するきっかけの一つにオフィスマッサージ「手がたり」があればと、私たちは日々尽力しています。


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