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知識VS経験

知識で経験を補うことは出来ない。

言葉には言葉で語られた部分以外を
「語れない」という欠点があるからだ。

「リンゴがある」といった時、
本来リンゴの背景にあるであろう空間に
関する情報は全て捨てられてしまう。

だから、事実上、人間は
自分が肉眼で見たことを
そのまま言語化することはできない。

ましてや、知識というのは
他人が見たり考えたり経験したことを
言葉に落としたものなのだから、
そのスカスカ度合いといったら空恐ろしいほどだ。

何かで知識を得て、
自分も何かを経験したように感じたり、
できるように思うのは錯覚だ。


しかし、
知識を持つことで私たちは
自分の経験をより「豊か」にする
ことができる。

たとえば、
こんな風景を見たとしよう。


羊の群れ、草原、木、山、そら。

人によっては、草原の広々とした様子や
草の丈の短さからステップ気候を
思い出し、モンゴルの遊牧民の姿を
この写真の外側にイメージしている
かもしれない。

しかし、もし何の知識もなく
この写真を見たらどうだろうか?

「それぞれ同じではないらしい何かがある」

ということ以外認識出来ないはずだ。

なぜなら、空、草原、羊、群れ
すべてが言語化された概念で、
それらを使って私たちは現実を意味ある
ものとして認識しているからだ。

裏を返せば、
知識を増やすということは、
1つの経験の中で私たちが認知できる
情報の量を増やすことだといえる。

それが、
知識を持つことで経験をより「豊か」に
できるという意味だ。


知識で経験を補うことは出来ない。
しかし、知識は私たちの経験を豊かにする。


学ぶことはいいことだ、
経験を豊かにすることでより早く成長できるから。

ただし、学ぶことを経験不足の
免罪符にしてはいけない。

同じ文字列を語っても、
単なる知識で紡ぐ言葉と
経験から搾り出される言葉では
全く質は違うのだから。

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