24時間エンデューロ、レイドクラス

みんな忘れてるだろうけど、岩手県釜石市でエンデューロをやってたことがある。会場名は釜石アイアンサーキット。

なぜアイアンなのか以下に説明する。東北の人には常識だろうから説明部分は飛ばしてくれ。

釜石といえば 鉄とラグビーの町 として有名で、なんでラグビーが?といえば、新日鉄があったからだ。新日本製鐵釜石製鉄所ラグビー部、通称 新日鐵釜石ラグビー部。
だから釜石は 鉄とラグビー なんだ。今はクラブチームとなり、釜石シーウェイブスRFCという。

https://kamaishi-seawaves.com/

企業の実業団からクラブチーム化というのも時代なのか。ともあれ、釜石市がラグビーで有名になったのは1980年代に入ってから、らしい。

鉄火場というくらいだから、鉱山も鉄工所も厳しい労働環境だったに違いない。だから体を鍛える意味でも、ラグビーという荒々しい競技はうってつけだったのだろう。
ラグビーの連携プレイの重要さ、チームへの忠誠は 五郎丸歩選手が注目されたときに報道で見かけたが、そうした面も業務に役立ったので、会社としてスポーツ推進していたのかもしれない。ここらへんは推測だが。

新日鉄を知らない人はいないと思うが念為。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%A3%BD%E9%90%B5

そして俺はラグビーを知らないので紹介記事を貼っとく。

https://www.huffingtonpost.jp/entry/rugby-kamaishi_jp_5d8b76ede4b0c6d0cef4dab7#:~:text=%E9%87%9C%E7%9F%B3%E5%B8%82%E3%81%A7%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%93%E3%83%BC,%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%9F%E3%80%82
この記事内に

そして新日鉄の経営も悪化。
釜石のシンボルだった高炉は次々と休止していった。
1989年、平成の始まりとともに最後の1つが廃炉となり、釜石のまちから火が消えた。(引用終わり)

とあるが、まさにその鉱山跡でエンデューロは開催された。だからアイアンサーキットなんだ。

1994年に最初の大会があったので、鉱山の閉鎖作業も一段落し、敷地の用途を模索していた時期なのかもしれない。

当時はまだ鉱山労働者が使っていた風呂場も残っていて、俺らも会場で熱々の風呂に入るという贅沢を堪能した。狭くて古いが凄みのある風呂で、なんというか、荒くれ男たちが集った歴史が感じ取れて、あれはあれでいい経験だった。

レースに使った敷地は広大で、アップダウンもちょっとしたスキー場くらいはあり、軽快に飛ばせるグラベル多めのコースだった。日本じゃ難しい長いストレートも取れたので、海外レースを疑似体験するには悪くなかったと思う。そしてなにより、全長が長いコースだった。

※ここでいきなり海外レースの話が出てくるのは、のちにそれをテーマにした大会が開かれたため。実際、かなりハイスピードを楽しめるコースだった。

よくある 折りたたんで距離を稼ぐ長さ ではなく、ハイスピードで抜ける大きなコーナーを繋いでるのに長い。そういう広い、広い、すごく広い会場だった。

一回目の5時間エンデューロの時は、たしか、バイクショップひみつ基地とモトショップ五郎の共催だった。

翌年だったか、2回目のレースがJRF釜石という名で開催された。こっちはモトショップ五郎単体で主催していた記憶。ひみつ基地は参加者で来てた。

モトショップ五郎とひみつ基地を簡単に紹介しておこう。

モトショップ五郎は東京都杉並区にあったバイク屋だが、ここに書ききれないほどいろんな面白いイベントを企画していた。たとえば日光サーキットのミニバイクレースやTWカスタム。ヒルクライムレースもやったな。店主はアイディアマンであり、実行力もある人だった。
もう少し古い話になると万歳ハイウェイに出てくるバイク屋のモデルとしても有名だ。

ちな、ゴローさんゴローさんと呼ばれていたが、店主ご本人のお名前は五郎ではなく、吉澤博幸さん。奥さんは真由美さん。吉澤さんは残念ながら2015年に故人になっている。お元気ならまだまだバイクシーンを元気にしてくれてたに違いない人だ。

http://www.j-bike.com/motoshop56/

ロード系イベントの印象が強いかもしれないが、吉澤さんご自身は林道ツーリングが大好きな人で、俺もご一緒させてもらったことがある。オンだのオフだの関係なく、バイク全般を愛してる人だった。

オフロード系も、釜石だけでなく、神奈川県の大井松田でディシエンブレ・エンデューロをシリーズで開催してた。

第1回目が12月だったのでディシエンブレ(スペイン語で12月)という名前にしたが、それがそのままシリーズ名になったのがご愛敬。これはコマツのテストコースを使っていた。

コマツっていうのは建設機械のコマツ。

そのテストコースとは、砂利のサイズや路面の種類を揃え、シチュエーションごとに商品テストをするための場所。当然、バイクで走ってても楽しかった。

そして、現役で使われていた場所だから、稼働してない日曜日のみの開催だったのも特徴。このへんはシコクベルグをやっている西日本砕石さんに似ているね。

このコマツのコースは地元の神奈川ホンダもH・A・R・Tエンデューロ会場として使っていたが、今はもう太陽発電のパネルが並んでいて見る影もない。

https://www.google.co.jp/maps/place/%E8%B6%B3%E6%9F%84%E5%A4%A7%E4%BA%95%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%82%A4/@35.3539353,139.1698042,2428m/data=!3m1!1e3!4m5!3m4!1s0x6019a79934c52a5f:0x6a6269c038a68922!8m2!3d35.3555535!4d139.1677072?hl=ja

吉澤さんがモデルになった 万歳ハイウェイ ってなに?って人はこちら。

https://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000001878


ひみつ基地は、田中瑞生さんがやっていたお店。田中さんは最初、千葉県のYSP柏中央で働いていたが、そのあと独立してバイクショップひみつ基地を柏にオープン。バイク屋業務だけでなく、ひみつ基地プロジェクトとして当時の奥さん温子さんと一緒に、パレ那須などでバックオフカップを運営した。

パレナスオフロードパーク MTB ダウンヒルコース|那須塩原市

http://www.palenasu.com/

httpshttp://www.palenasu.com/://www.google.com/maps/place/%E3%83%91%E3%83%AC%E9%82%A3%E9%A0%88%E3%82%AA%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%91%E3%83%BC%E3%82%AF/@36.923049,139.870085,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x796e8fd1802ee16f!8m2!3d36.923049!4d139.870085

ここはガレの登りで知られ、渡辺明さん主催のBLUE OIL CUP 会場でもあった。今もコースは現役だが、バイクイベントに使ったという話は聞かない。

バックオフとは、今は廃刊になっているオフロードバイク雑誌だ。その後、田中さんはバイクショップを閉め、栃木県那須塩原市でペンションを始めた。そしてコロナの影響か、最近はごはん屋さんとして、宿泊から飲食に比重を移したようだ。

https://www.facebook.com/himitsukichi20/

この田中さん、大会主催だけでなく、自分でもTBI、女神湖スカイエンデューロ、レイドカムロ、と、当時人気のレースは網羅してるから、お店に行くことがあれば経験談を聞かせてもらうといいよ。

今の奥さんの好美さんもライダーで、このあとJRF釜石の話をするが、そこのレイドクラスをアイアンマンで走ったタフな女性だ。

田中さんたちは、90年代のエンデューロの楽しかった部分を味わいつくした世代だと思う。俺は今もエンデューロブーム継続中だと思っているが、あの時期のそれは牧歌的な部分がまだ色濃かった。今のように制度が整っていなかったからこその、野放図な楽しさがあったように思う。
もちろん、周辺が整備されたからこその良さもたくさんあるんで、今のライダーは今ならではの楽しさ、便利さを大いに謳歌してくれ。

さて、話を戻す。
釜石アイアンサーキットで行われたJRF釜石のことだ。

JRFと書くと貨物列車みたいだが、Japan Raid Festivalの略。初心者向けに1時間や3時間クラスもあった。そのほかに6時間クラス、12時間クラスもあった。そして、記事のタイトルにつけた通り、このJRFで24時間も開催された。最長の24時間クラスはレイドクラスと呼ばれた。
これらはすべて2日間のうちに混走で行われた。

24時間クラスにしても、いっぺんに1日で走るのではなく、大会日程2日のうちに走行指定時間を設け、メンテ指定時間を挟みつつ、総計で24時間走る形。ナイトの時間指定もあるので、灯火類の対策も必要だった。

このレースは、海外レース、たとえばBAJAに出たい人がその疑似体験を国内でできるようにする、それがテーマだったからだ。

前年に行われた5時間レースは、地元の意向確認を兼ねたテスト開催だったのかもしれん。これは確認していないが。

というのも、スタッフに地元スナックのマスターが来てて、その人はバイクではなく4輪のラリーファンで、地元岩手に戻るまでは、ラリーが好きだという理由だけで群馬県で富士重工に勤めてたって言ってた。

バイクも嫌いじゃないし、なんだかレイドクラスとかってのがあるらしいし、面白そうだから手伝いに来たんだよ

と言っていた。
そんなふうに地元のモーターファンと盛り上がれるのも、ローカルレースのいいとこだったんだ。

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