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沈んだ時にも毎日noteを書くべきだった後悔

結局昨日は夜中の24時に目覚めて眠れなくなりnoteを書きつつ少し仕事をして、3時頃に再度ベッドに戻ったら3時間くらい眠れました。眠れないと書いたのがよかったのかもしれません。

noteは1月16日を最後に300日を超えていた連続更新は途絶えたのですが、あの時にnoteを書くのをやめた判断は今思うとダメだった気がしています。

なぜかというと、noteを毎日書くことはもちろん、仕事やすべきことをどんどん手放していった先にあったのは、やすらぎやゆとりある時間なんかではなかったから。


結局、手放し続けた先にあったのは虚無感と焦りだけが残った苦しい日々でした。書き続けておくべきだった。手放すべきじゃなかった。

それこそ、読む側には愚痴や弱音ばかりはうざったいかもしれませんが、つらい、苦しい、気分が晴れない、という事でも書き続けてよかったのにな・・・と過ぎてみて感じています。

いっそ公開しなくても良い。有料で鍵かけて、かつ発行部数も絞りまくったほぼ非公開でも良いから、書いておけば良かった。

毎日書いていた習慣まで手放したことによって、自由になるどころかより縛られて、結果的に症状が長引いた気がしています。


日記療法

落ち込んで悶々としていた時にも解決法を色々と調べたのですが、どうも日記をつけて自己分析をしたり客観視することは精神疾患などの治療法として用いられているようです。

今日は何があってどんな気分だったのか、何ができたか、何がもっとしたかったか、、、それくらいの3行程度のメモ書きでもいいそうです。

要は一種の自問自答をしつつ、客観的に自分を見ることで問題を切り分けて俯瞰するってことなのかもしれません。


あとは運動(それができるならそもそも鬱屈とした気分で動けなくなっていない)

それと生活リズム(僕の場合は過眠気味でしたが、小さな娘2人がいたので生活リズムは健康的でした)

食生活や腸内細菌の状態によってもメンタル面に影響があるとかないとか。

これ読んでからヤクルトを買って飲んでみたりね。効いているかどうかは正直わかりませんが、娘2人はたまに飲める甘い飲み物にご機嫌です。


結局、なんであの沈みきったドン底を抜けられたのかは正直わからないのですが、無理しないことを意識しすぎて自縄自縛で動けなくなっていくよりも、少しでも手が動くなら細々とでも続けておけばよかったと思います。

別に誰かの役になんか立たなくたっていい。

少なくとも、自分自身がちょっとでもそれで立ち直る準備になるのなら、誰のためでもなく自分のためだけに細々と書いておけばよかった。


そんなわけで、しばらくは普通の日記が続くと思います。

そうはいっても細々と仕事もしているので、誰かの役に立ちそうなノウハウをまとめたりもするかもですが。

強制や約束こそせずとも、マイペースに書いていきます。疲れちゃわない程度に。

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