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1年やってその程度なら、才能ないと思う

人生は不公平で不条理だから、チャンスは誰もに平等に来るわけじゃないし、生まれた時から遺伝ガチャで能力もある程度割り振られちゃってる。

小学生時代、控えめに言って周りと比較しても突出して絵や図工の才能があると自惚れていた。

けれど、そういうクラス1のできるやつが集まるステージに進んだら、自分が凡百の駒にすぎないことを見せつけられた。

明らかに圧倒的にうまかったり、自分では考えもつかないようなアイデアをバンバン出せたりするヤツが世の中にはいる。

それも、よりによって同世代でこんなにいるのかよ...才能っていうのは残酷だ。目に見えないモノのはずなのに、成果物ではくっきりハッキリ見えちゃうから。

1年、2年と続けるうちに、その差はより明確になる。努力ではその溝は埋まらない。

だから「1年やってその程度なら、才能ない」ってのは事実なんだろうな。

才能ある人が、さらに継続して研鑽を積むパターンもある。しかも、楽しみながらつづけている。

才能がないのを努力でカバーして、頭から煙出しながら労力と工夫で引き延ばしてギリギリなんとか追いすがる。永遠に追いつけないのはわかりながら。


サンクコストという病い

それでも「好きなことだから」「夢だったから」「自分らしくありたいから」という自己満足のような動機で続けられてしまったりもする。

別にプロじゃなければ意味がないとか、稼げない=認められていないとか言うつもりはない。

でも、サンクコストという経済学用語が示すように、ある程度の時間やお金を投入してしまった趣味や特技や創作ジャンルに対して、続けてしまったがゆえに損切りができなくなるのも、また現実だろう。

自分は満足しているから損じゃないと言い切れるならそれでいい。

しかし、結婚して家族ができたり、親の介護が始まったり、病気や事故などで今まで通りが無理になった時、なんとか生み出していたその余剰スペースがなくなったら?


続けることは難しい。
しかし、続けてしまうと今度はやめることが難しくなる。

ギリギリの赤字を続けると、累積した損失は莫大になったりする。いつかきっと上向くと信じて負け続けることは、戦略的には愚策の極みだ。

続けるだけでは勝てないし、諦めなければ勝てるわけではない。でも続けなければ勝てない。

続けた上で、自分の強みと時代を読んで、勝ちやすい場所で勝ちやすい方法で勝負を仕掛けなきゃいけない。本に載ってる他人の勝ち方は再現性がない。


だから、ふんわりとした目標でなく、状況を俯瞰して、具体的な目標と道筋を計画してほしい。そもそもの、自分にとっての勝ちとは何なのか?勝利条件をハッキリさせよう。

そうして虎視眈々と続けるうちに、自分よりも明らかに才能を持っていた同級生がどんどん減っていった。

では生き残ったことは勝ちなのだろうか?それとも、彼らは彼らなりの新しい勝利条件を見つけたのだろうか?

結局、答えは誰にもわからない。自分自身の中にしかない。

「1年やってその程度なら、才能ない」のが事実だとしても、引き際が肝心だとしても、自分なりの勝利条件を見つけてそこを目指せればいい。

才能の有無なんかに頼らなくても、結果は残せるし満足もできるはずだ。去っていった才能溢れる天才たちの今を思いながら、そんなことをぼんやりと考えた。

幸福とは、才能の有無だけじゃないよ。
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