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「量が質に変わる」は本当なのだろうか?

古くから何かを修練しようとすれば数をこなせと言われてきたけれど、最近では盲目的な練習よりも効率重視でなるべくコスパよく習得したいという流れが強いと感じる。

これについては、なる早でローコストで割のいいスキルを習得したい!という気持ちはわかるし、実際自分もそう動いちゃう時もあるから否定はしない。

でも、自分がなる早でローコストに習得できる技術って、他人もなる早でローコストに習得しちゃうんじゃないだろうか?

もしもそうなったら、当たり前だけどその技術の価値は下がるよね。だって、みんなができることなら、なる早でローコストにやってくれる人に頼めばいいんだから。

皮肉なことに、自分がコスパを求めて手に入れた技術は、自分が求めたコスパを理由に取捨選択されたりもする。いつだって自分が選ぶ側・選べる側とは限らない。

自分だけはお手軽にスキルアップしたいけれど、そのスキルはレアなままでなるべく高く買って欲しいだなんて、人間ってつくづく強欲で怠慢だなぁ...と、他人事のように思う。


レアな技術を手に入れる為に

そうは言っても生存戦略として最小限の労力で最大限の効果を欲しがるのは理にかなっている。

となると、量が質に変わるのなんて待っていられなくて、少量で高品質なものを求めちゃうんだと思う。時短で劇的進化!驚異的な習得スピード!ってヤツね。

独立以降、わりと逆張り思考をするように意識しているせいか、お手軽に手に入る高品質なものにはどうにも裏を感じて疑ってしまう。

新しく何か事業を始めるときに、始めるときのハードルを参入障壁と言ったりするのだけれど、参入障壁が低いことはつまりマネされやすく陳腐化しやすい。

そこで、やはり差別化&参入障壁としては継続してきたキャリアの数字は便利だなぁ、と思う。

続けてきましたってだけのただの数字だから、実際は量が質を保証してる訳ではない。そこは全然イコールじゃないんだけど、30年やってますとか言われるとなんかすごい感じがしちゃう。


毎日書いていて思うのは、クオリティは本当にまちまちで我ながらこれ書く意味あんの?という日だって結構ある。

それでも、それなりに繰り返しつつ試行錯誤もするわけで、ある程度の手応えを得られるときとか、めちゃくちゃ筆が乗って力作ができちゃうこともある。

まだまだコントロールできていないのだけれど、まぐれ当たりも本数が増えてくると共通項があったりするので、再現性は掴めるんだろうなぁ・・・とは最近うっすら感じています。

そこらへんは知りたい人きっと多いんだろうけどね、たぶん知ったところで同じように行動して再現までやる人はきっと数人しかいないんだろうなぁ・・・とも思うんです。


そういう、楽して当てたいって気持ちを認めた上で、一回その気持ちはしまっておこうと思う。そうじゃなくて、楽じゃないけどついやっちゃう、つい続けて量こなしちゃって質に変わっちゃう、みたいなことをやっていきたい。

「儲からないんだよねぇ〜。」とかね、言いながらも好きで続けていたらいつの間にか当たってました、みたいな。そういう量のこなし方をしたいなぁ。

な〜んて、取らぬ狸の皮算用をしている時点でダメですね。あぁ、楽して一発当てたいなぁ(怠惰)

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