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上手じゃなければ楽しくない、という呪い

デザイナーという仕事柄、スケッチを描いたり簡単な絵で説明することが多い。だから周りからすれば絵が上手い人というくくりになるんだけれど、本人は全然そうは思えていない。

専門職という道を選べば、必然的にそこを目指す数多の人たちとの競争になる。どうしたって技術の上手い下手はついてまわってしまう。

僕は運良く入学→卒業→就職→独立と進んできたけれど、じゃあここに来るまでに競い合った他の誰よりも技術的に優れているのか?といえば答えはNOだ。

言ってみれば運も含めた総合力で、なんとかここまでたどり着いた。

そして、入学するまではクラスで1番絵が上手いのは自分だという自負もあったが、入学してみると上には上がいるという事を嫌という程に思い知る。

そこで競って勝ち上がったその先でもまた上には上がいて、当然前にも後ろにも学年トップが全世界の学校から毎年排出されていく。

自分はあの人よりも上なのか下なのか?意識し始めればキリはないが、上手な絵が描けているか=どう見られているかはずっと気になってしまう。

あんなに楽しくて食事も忘れて夢中で描いていたのに、だんだん苦しくなってくる。


上手じゃなければ楽しくないのか?

では、上手じゃなければ楽しくないのだろうか?そんなことはないはずだし、始めた時にはそうじゃなかったはずだ。

最初はただ母親が褒めてくれた、喜んでくれた、そんな小さな喜びだったと思う。

いつのまにか褒めてくれる母親が図工の先生やクラスメイトになり、職能としてお客さんやその先のエンドユーザーに褒められることを目指すようになってきた。

気がつけば上手じゃないものを人に見せてはダメなんじゃないか?という思い込みに縛られていた。


下手でも心を打つ場合もある

初心に戻ろう。こどもは上手い下手なんて意識せずに、ただ楽しいから描いている。

もちろん褒められたい欲求などはあるかもしれないが、うまく描くことは二の次だ。

そして、上手くないと心を掴まないかというと、そんなことはない。それはみんな知っている。上手い下手の技術と、感動を呼ぶ本質的な魅力に相関性はない。

上手くなりたいと思い日々研鑽することはすばらしい。だが、上手くなければ描いて誰かに見せてはいけないということはない。

大抵の場合、目的は上手に描くことではない。誰かに伝えることであれば下手だろうが伝わればいいし、楽しみとしてならば下手でも楽しければ目的は達成している。

もちろん、誰かに喜んで欲しくて職能として絵を描く必要があるなら、もっと喜んでもらうためにスキルアップするのは大事だ。

でも、いつだって上手い下手よりも心を動かす何かがあるということを忘れずに筆を取りたい。

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