見出し画像

金メダルが走るわけじゃない

ステージに上がり自分を売りにするということは、多かれ少なかれ誰かからの評価に常にさらされる事になる。それは同時に、数多くの第三者の中に別人格のあの人としての自分を無数に生み出す事でもある。

情報化社会が突き進む中で、今までは芸能人や有名人と呼ばれる一部のマスメディアに登場する人々だけが支払っていた有名税を、一般の個人である僕らも支払う場合が出てきた。

大きなところでは何かの賞を獲ったり、何かのメディアに載ったりすれば、そこには必ず先入観やバイアスが生まれる。

それこそSNSでプロフィールを公開し、写真を1枚でも載せれば、見る人は勝手におもいおもいの判断をするだろう。

もはやそうしたことは良し悪しを超越して、今後もその流れ自体は衰えるどころか加速する一方だと思う。


本当の自分なんてない

こうしたメディアや何かしらの情報発信を続けていると、自ずと受け手側には別人格の自分を形作っていく。そこで、自分の認識している自己と、他人の認識している自分とのイメージのギャップが「本当の自分が理解されていない」という悩みや苦しみを生んでいる。

また、まだ無名で反応がなく誰にも知られていない、発信しても反応のない寂しさ。これもまた「本当の自分が理解されていない」という思いにつながる。

しかし、ここで一つ考えて欲しいのだけれど、自己認識としての自分と、誰かがイメージする自分と、どっちが本物かは意味があるのだろうか?

どちらも本物であり、そこに従属関係はないようにも思う。


会って自分の目で見て判断したい

僕はわりと有名人や権威に対してのミーハー心が薄くて、芸能人と写真を撮りたいとかサインもらって握手して喜ぶ気持ちがわからない。

同じように、メディアや週刊誌で叩かれていたり、SNSで炎上を繰り返していたりする人でも、会って話してみたことのない場合は判断できないと思っている。


例えば、noteがきっかけで仲良くなった竹鼻さんはレクサスデザインアワードを獲っていて名実ともに素晴らしいアーティストなのだけれど、彼が素晴らしいのはレクサスのアワードを獲っているからではなくて、その思想と行動にある。

アワードの獲得は結果に過ぎず、アワード作品にしても100均の廉価品を焼きなおすことで逆説的に一点物に仕上げるおもしろさにある。あのアイロニー(ある種の皮肉)も含んだ表現は審査員の玄人魂をさぞくすぐったことだろう。

そして、過疎地の蔵でその焼き直しを行ったりする、一見すると馬鹿馬鹿しいとすら思われかねない狂気じみた行動にある哲学に惹かれる。

いまではパパ友で飲友だが、これだって僕の中での勝手な竹鼻さんのイメージだ。(実物は写真以上に温厚でクレバーでお茶目な人だった。)


また、春先から数百フォロワーから一気に1万フォロワー超えのインフルエンサーになった田村シェフもそうだ。Twitterでは一時期ヨーグルトにドライマンゴーをつき刺す人になっていたが、それは彼の一面に過ぎない。

世界的レストランガイドのゴー・ミヨの期待の若手シェフに選ばれたり、その活躍や活動は幅広く、メディアをみるだけで勝手にイメージする要素には事欠かない。

田村さんとは今年知り合って何度かお会いしていて、レストラン時代にもギリギリ滑り込みで家族でコース料理を頂いたりした。

もちろん料理は素晴らしかった。繊細でアーティスティック、特に香りへの感性の鋭さは今まで食べたどの料理にもない深みを湛えていた。魚への繊細な火入れや、イカスミや蘇(古代のチーズ)の扱いなど、海産物へのこだわりや歴史へのリスペクトも感じた。

でも、その本質は皿の上ではなく、思想と行動にあると思う。

もっと言えば原体験と、問題意識と、家族への想いなんだろう。(僕は気になる人に会う前には、その人の著書や過去ログは全て見ることにしている。彼の昔のブログもスリリングな葛藤が綴られていてとてもよかった。)

Chefs for the Blueの活動や、食材の生産者保護や伝統を絶やさないための視点、既存のレストラン業界の働き方への疑問、若手への支援etc...

まぁ、一緒に飲んだり色々お話ししたと言っても、僕の知っている彼はほんの一部だ。それでも、メディアで見るだけの表情やトリミングされた情報とはだいぶ違くて、もっとずっとあたたかくアツかった。(そして背もデカかった。)


金メダルが走るわけじゃない

おそらく、突き進んだ人や勝ち残った人には、ある種の孤独がつきまとうんだろう。

でも、金メダリストがすごいのはその胸に下がっている金メダルじゃない。世界一を獲ったのは紛れもなくその肉体と精神で、その人そのものが凄いのだ。

金メダルが走るわけじゃない。
そんなことはみんなわかっているようで、結構あっさりメダルに注目してしまう。

同じように時に冠に、時に宝石に、時に腕にはめている高級腕時計に目を奪われて、受賞歴や名刺の肩書きにバイアスをかけられる。


僕だって意識してこの既成概念を外すようにしていても、ついつい引っ張られることもある。

でも、こういう色眼鏡や認知バイアスや思い込みや勝手なイメージを自分が持っているんだっていう、そういう前提を意識できているかどうかで、世の中への触れ方ってちょっと変わると思うのだ。

思い込みで誰かを評価してしまったり、勝手な期待を抱いたりしない、そういう感受性を忘れないようにしたい。

読んでいただいてありがとうございます。
「♡」を押すと、明日の更新の予告が出ます。
オマケのある時はたまにオマケ予告も出ます。

いただいたサポートでnote内のクリエーターさんを応援!毎月末イチオシの新人さんを勝手に表彰&1000円サポート中🎉 あとはサポートでお酒や甘味で妻や娘のゴキゲンをとります。 twitterは @OFFRECO1 Instagramは @offreco_designfarm