「一歩ひいて脇役に徹すること」ことで視界が広がることもある。【aaceroインタビュー、2年後の後追い】


aaceroはここから2年間、ほぼ毎回Of the Shopにも参加してくださっていて、とても人気のあるブランドのひとつです。

インタビューのタイトルにもなってますが、「いまは主役よりも、名脇役になりたい」とデザイナーの後藤さんがおっしゃっていたことは、今でもよくおぼえてます。

「脇役」を自覚することって、すごく勇気がいることです。

誰しも、主人公になりたいし、「主人公である」と思いたいもの。

でも、「脇役になろうとする」ことで、aaceroのものづくりの視界が広がったんじゃないか、と今になっておもいます。



好きな言葉のひとつに「それぞれの持ち場で精一杯がんばろう」というのがある。

ひとにはそれぞれ自分に割りあてられた「持ち場」があります。

たとえば、赤ちゃんは泣いたり、寝たり、気が向いたらまわりに愛想をふりまいてみたりするのが「持ち場での仕事」です。

学生だと勉強したり、友だちと遊んだり、恋したりするのがそうですね。

その「持ち場」が満足だろうと、不満だろうと、生きているかぎりそのひとに「持ち場」は存在します。

「持ち場」は自分で選ばなければまわりの都合でわりあてられますけど、自分で選ぶこともできます。


「職業に貴賎なし」とは言います。でも、「持ち場」の意識がないひとには、その意味がわからないかもしれません。

なにを「持ち場」にすれば格好いい、格好わるい、というのはないんです。
それよりも、自分の「持ち場」でがんばれないひとは格好わるい。

どんな仕事であろうと、持ち場を自分で選んで、そのなかで精一杯がんばることはすばらしいことであるとおもいます。



aaceroの、上質な生地と女性らしいフォルム、他にもありそうだけどaaceroにしかできないデザイン。

それらがあくまで「普通」からあぶれないところ、つまり「ふだん着」で着られるようにできています。

「脇役」として着ていたら、気づくといつもaaceroの服を着てしまうようになってるかもしれません。

「主人公」になれるようなものも大切ですが、「脇役」もおなじくらい大切です。むしろ、「脇役」をなににするか、というところに「そのひとらしさ」が出ると、私は思います。

そして、「ひとと違っていたい」という気持ちと、「ひとと一緒でいたい」という気持ち。それぞれ微妙なぐあいでどんなひとにもあると思います。

そんな微妙をちょうどよくするのが、「脇役」です。


aaceroのデザイナーのおふたりは、きっとものづくりにたいする「エゴ」が、人一倍強いんじゃないでしょうか。

この生地は高いけど、これじゃないといけない、このデザインは難しいけど、けずっちゃいけないとか。

だから、失礼な話かもしれませんが「たかっ!」と思うものがあったりもあります。

多分、買いやすさとか、着やすさとか、そうゆうのよりゆずれないことがあるんでしょう。

八幡さんの「機能性を捨てたからこそ生まれる美しさ」という言葉が、それをあらわしているのかもしれません。


そんなことを、インタビューをあらためて読み返していて、思いました。
aaceroさん、これからもよろしくお願いしますね。


アーチェロ(aacero) 2016年春夏コレクション


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