日々の気持ちをその日撮った写真もしくは過去に撮ったお気に入りの写真と一緒に記録していま…

日々の気持ちをその日撮った写真もしくは過去に撮ったお気に入りの写真と一緒に記録しています。恋人と猫が大好きです。 https://bit.ly/2LcDm5J

最近の記事

退去

今日、6年間過ごした部屋を出た。 カーテンレールからレースカーテンを外しながら、初めてこの部屋に来たときは、窓のすぐ目の前に別の建物があって知らない人の部屋がある、というのがすごく嫌だったことを思い出した。 実家は田舎の住宅街の端にあった。自室の前には道路を挟んで駐車場、畑、そしてその先には田んぼが広がっていた。リビングは住宅街に面していたけれど、垣根があるのでわざわざ覗き込みでもしなければそれほど外から見えず、少なくとも昼間は窓もカーテンも開けられた。そんな環境で生まれ

    • 自分の死にたいには敏感だけど、他人の死にたいには鈍感だね

      子どもが生まれたら生きていたくなった人の話が炎上してたのがこわくて泣いちゃった。死にたい気持ちがある人は一生一人でいろって人と、死にたいから自分は一人でいるのに、って人が世の中にはこんなにたくさんいるのだなと思って。 死にたいからといって死ぬのがこわくないわけじゃない。だからみんな死ねずに人生が続いてつらいんじゃないの...?死ねないのにずっと一人で生き続ける恐怖に堪える鋼の意志があるなら、死の恐怖にも勝てそうじゃない?どうせ生き続けるなら幸せになりたいって願うことはそんな

      • 中学生の頃はなんとなく一生子どもでいられると思っていたよね

        実家の屋根裏から小学〜中学時代にかけての黒歴史類をトランクに詰め込んで持ち帰ってきた。 死にたくなるたび、あれが死後発見されたら死んだ後まで恥を晒すことになる、と後ろ向きに思い留まる最大の要因たち。特に、昔書いた小説(しかも未完結)は、わたしの中ではぶっちぎりの黒歴史だった。屋根裏に上がったとき、あまりの物の多さに見つけられないのではないかと絶望したが、存外わかりやすい段ボールに入っており、回収してよかったと心から思った。小説を書いていたノートや裏紙の束は二重にビニール袋に

        • ラストデイ

          先日のメモより 恋人を見送って一人で家で過ごすのが嫌で恋人が出発する日に帰省の飛行機を取っていた。恋人は朝の便でわたしは昼の便で、空港まで一緒に行き、見送ったあと昼までは一人で過ごすつもりだったが、恋人の便がこのご時世の影響で昼になり、ギリギリまで一緒にいることができた。 旅行で何度も一緒に来た新千歳空港は平日とはいえ信じられないほどガラガラだった。いつもは行列していて全然入る気になれない海老そば一幻に並ばずに入れて本当に驚いた。ラーメンを食べた後、お土産を買いにロイズの

        退去

        • 自分の死にたいには敏感だけど、他人の死にたいには鈍感だね

        • 中学生の頃はなんとなく一生子どもでいられると思っていたよね

        • ラストデイ

          自分が自分であることに堪えられない。 小学生のころから死にたかったけど、怖くて死ねずに泣きわめきながらここまで生きてしまった。 だから、私がいつ突然に死んだとしても誰かのせいではない。ただ、長い間考えていたことを実行に移しただけだ。 ずっと助けてほしかった。 人と関わることで死にたい気持ちから目をそらすことはできた。でも、根本的な解決にはならなかった。 私は救済を生きた人間に求めたくない。何年の付き合いがあっても人は裏切るし、それを責めるのも違うのだろうなと最近理解

          「好きな人と一緒に死ぬのが理想じゃないですか」

          このツイートには本当は続きがある。 最近フォロワーが増えてきて、どこで知り合いの目に触れるかわからない状態になってきたので、本当の本当の本当に引かれそうな部分はここに書くことにした。ここのリンクはツイッターのプロフィールにしか貼っていないし、わざわざそのURLを踏んで見にくる奇特な方はわたしのことを理解してくれているでしょう、という開き直り。 すきな人と一緒に死ぬのは理想ですよねと言われた時、死にたいと思い続けているわりにそれはあまり考えたことがなく、その場では「お、おう

          「好きな人と一緒に死ぬのが理想じゃないですか」

          死ぬ前に南の島に行きたいと思った(2019/01/26 下書き)

          久しぶりに死ぬことを想像した。部屋の荷物を全部処分して、死に場所を探しに南の島に行く。 普段は見ないようにしている、見ないで済んでいる無気力な自分に気がついてしまうときがある。 そういうとき、とてつもなく死んでしまいたくなる。わたしは恵まれている。わたしは多くの投資を受けて生きてきた。にも関わらず、ずっと薄っすら死にたいと思って生きている。投資に見合う価値が自分に無いのを自分が一番よくわかっている。そのことに対する罪悪感でしばしば潰れそうになる。けれど、投資してもらわずに

          死ぬ前に南の島に行きたいと思った(2019/01/26 下書き)

          早く正解になりたい

          この数日、心が無性に虚しくてざわついて落ち着きがない。いつも心の調子が悪くなるピルの空薬期間は終わったし、長いこと戦っていた論文もようやく投稿できた。なのに、全然解放感がない。ずっと何に対してか分からない不安があって胸のあたりがスウスウする。こういう時、苦しさの対価として曲が書けたり絵が描けたりすることがあるけれど、今回は何にも浮かんでこない。ひたすら空っぽな感じと、将来への焦りがある。でも身体はぐったりしていて何もできない。すごく不健康。何にもできないけど、だらだらと何か話

          早く正解になりたい

          雪道

          積雪の上を人が歩いてできた雪道は少し人生に似ている。人の足で踏み固められてできた道は平らではなくて高さが偏っている。おまけに踏み固められた雪は氷のように硬く滑らかになり、上を歩くと結構滑る。バランス感覚のある人は難なく渡っていけるけれど、不器用な人にとって転ばず真っ直ぐに歩くことは至難の技だ。狭い雪道では、前から来た人に道を譲る人もいれば、一切道を譲らない人もいる。ゆっくり歩く人もいれば、せかせかイライラ歩く人もいる。いくら急いでいても前がつかえていたら進むことはできない。雪

          雪道

          speak-spoke-spoken

          タイトルに意味は特に無い。 最近、できる限り毎日英作文を書くようにしている。将来海外に出なくてはいけないかもしれないし、暮らすまではいかなくとも少なくともこの先の進路では英語を使うことがわかっているからだ。中学生レベルの英作文ですらままならないことを思い知らされる日々。できなくてもあまり深く考えないようにしていたが、ここ数日魂が不調だったためかspokeの綴りを間違えただけで本気で凹んでいる。そんな感じで、今のわたしは魂の元気がない状態でこの文章を書いている。 わたしはず

          speak-spoke-spoken

          もうやめよう、と思った時に限って当たりが出る

          ギャンブルをやめられないのは「次でやめようと思った時に当たりが出てしまうから」と聞いて、何それ、人生じゃん、と思った。

          もうやめよう、と思った時に限って当たりが出る

          たまに垣間見えるかつての弟の姿に胸がギュッとなる

          父親が家族LINEにエビの着ぐるみパジャマを着た弟の写真を載せた。弟が自ら買ったものだそうだ。 変な奴だ、と最初は笑っていたが、そういえば昔の弟はそういう人間だった、と後から思い出して少し胸が締め付けられた。

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          たまに垣間見えるかつての弟の姿に胸がギュッとなる

          わたしはプロじゃないから、好きなものの写真しか撮らない

          でも最近、撮りたいと思うものが変わってきたように思う。少し前まではとにかく誰が見ても綺麗なものを撮りたい気持ちが強かった。今も綺麗なものの写真を撮るのは好きだけれど、撮りたいと強く思うのはそういうものではない。 わたしが大学に入ると同時に、私が住んでいた町は急速に発展した。発展したとは言っても地方都市なので、全国チェーンのお店が次々に建って便利になったという程度のことだけれど、それでもやはり景色の変化は大きい。帰るたびに何かが失われて何かが生まれている。また、老朽化した建物

          わたしはプロじゃないから、好きなものの写真しか撮らない

          隣の芝生は青いけれども

          自分にはできないことができる人、生まれ持って外見がいい人、誰かのことを羨ましいと思うことは多々ある。 でも、その人になれるならなりたい、とここ最近は全く思わなくなった。 わたしはわたしを幸せにしてあげたいのであって、わたしではなくなってしまった誰かを幸せしたい訳ではない。 自分であることをやめるということは今までの自分の人生を放棄すること。そうしたいとは思わなくなった。 高校生の頃は、それまでの自分のことを悔やんで悔やんで悔やんで、全部捨てて別人になりたくて仕方がなか

          隣の芝生は青いけれども

          下書き(2019/10/14)

          ずっと誰かにとって唯一人の存在になりたかった。 家庭環境は決して悪くなかったが、家族ではダメだった。物心ついた頃には既に弟がいて、私は常に複数いる子どもの内の一人であり長女だった。甘ったれてはいたが、甘えられないと常に思っていて、家族には精神的に寄り掛かることができなかった。妹が生まれ、自分が小学生になり、自分の能力が兄弟に比べて劣っていることに気づき始めてから、自分は替えの効く存在だという思いが強まった。誰か一人でいいから、自分だけを特別に必要としてくれる人が欲しかった。

          下書き(2019/10/14)

          たまにはあの頃みたいに遊びたい、でも体力も時間も、何より遊ぶ相手がいない。

          これが大人になるってこと? 大人って、寂しいね。

          たまにはあの頃みたいに遊びたい、でも体力も時間も、何より遊ぶ相手がいない。