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最後のピース 10

ピンポーン。

深夜0時近くの呼び出し音で全身に鳥肌が立つ。

ドアにチェーンをかけ、恐る恐るドアを開けるとその隙間にキム弁護士が見えた。

「先生?」
「やー、なんで返事しない」
「返事?あっ…」

夕方ごろにスマホの電源を切ってそのままだったことをやっと思い出した。

「すみません、電源ずっと切ってて」
「…このチェーンは、なに?」
「あ、ごめんなさい」

一度ドアを閉め、チェーンを外し、また開ける。彼はスーツのポケットに手を入れたまま少し怒ったように私を見つめている。

「ごめんなさい、何か、ありましたか?」

ガチャン、と隣の扉が開いた。隣人が訝しげに彼を睨むとキム弁護士も眉間に皺を寄せる。隣人は私に視線を移した。

「大丈夫?」
「あの、仕事の人、なので…」
「そう?」
「うん、だから、大丈夫」
「もし何かあったら、あれ、やって」
「うん…」

隣人が扉を閉めるとキム弁護士は隣人の部屋に向かって悪態をついた。

「あの…事務所から来たんですか?」
「いや、静岡から」
「えっ」
「ちょっと、水くれ」

彼は躊躇うこともなく、まるで当然のように部屋へ上がり込んだ。

「やー、なかなか少女趣味な部屋だなぁ」
「…」
「まあ、イメージ通りだな」
「あの、何か急ぎの連絡だったんですか?」
「違うけど、いくらLINE送っても全然既読がつかないし電話も繋がらないし、またどっかで間抜けなことして倒れてんじゃないかと思って」
「間抜けなことって…」
「まったく、心配の多いやつだ」

彼は私の額をコツンとつついた。さっきから、彼の話し方も行動もやけに距離感が近い。私たち、もう付き合ってるんだっけ?

「で?一体どんな理由でスマホの電源を切ったんだ」

私は彼に例の怪しい電話の話をした。その話を聞く間、彼はキレイな顔を物凄く歪ませた。

「誰なんだそいつは」
「そんなの…わかりません」
「身に覚えは?」

私が首を振ると彼は空を仰ぎ小さく舌打ちした。

「大丈夫だ。俺が何とかする」

そう言って、彼は私のスマホを手に取った。

「やー、それでスマホをずっと切ったままか」
「はい」
「もう永遠に使わないつもりか」
「…」

彼は「電源入れて」とスマホを私の膝にポイッと投げた。パスコードを入力すると今度はそれを取り上げ、私の肩に密着して説明を始めた。

「いいか、ここで、これをオンにすれば非通知電話を受け取らずに済むようになる」
「…ほんとだ」
「音は鳴らないが履歴にはちゃんと残る。だからもしまた来てたら俺に知らせろ。俺が代理人だ」
「は、はい…」
「しかしこんなことも知らないのか。隣のヤツも揃いも揃って!はー、まったく」

彼が話している横で、私はスマホに立て続けに入る通知を眺めていた。彼からのLINEや着信が10件くらい入っている。LINEの内容は多くが週末の予定に関してだった。

「あの、週末の予定、ですけど…」
「お、おぅ」

話題が変わると、彼の様子は途端に変わった。少しはにかむような表情をして、心なしか、首から耳にかけてほんのり赤くなっている。

「土曜は予定があるけど、日曜は空いてます」
「うん、そうか…土曜の予定って、なんだ」
「え…?」
「どこだ、場所は」
「恵比寿…ですけど」
「ふーん。一日中?」
「あ…いえ…昼で終わる予定です…」
「おう、じゃあ、恵比寿に迎えに行く」
「あの…先生…」
「なに」
「私たちって…付き合って…るん…ですか?」
「やーーーーっ!!」
「えっ?」
「ポッポしただろっ!」
「ちょっ、声が大きいです」
「なんだ、隣の男が気になるか?」
「いえ、あの…もう深夜だし…」
「あぁ」
「あと…なんか、キャラ、違いませんか?」
「ん?」
「喋り方とか、いつもと違うなぁってさっきから気になってて…」
「ヒャッヒャッヒャッ。そうか、わたげは上品なのが好きか。でも悪いがこれにも慣れてくれ」
「わたげ?」

彼は私の目の前にしゃがみ、私の頭にポンと手を置いた。

「俺はわたげの彼氏で、わたげは俺のもの。いいな?」
「わたげって、私のことですか?」
「うん、可愛いだろ?」

何もかもめちゃくちゃすぎて頭が追いつかない。それでも彼に触れられただけで身体はすぐに反応した。胸がドキドキし頭がぼーっとする。そしてそうしてる間に、彼が窓辺の紐に気づいた。

「ん?なんだこれ」
「あっ!待って!引っ張らないで!」

時すでに遅し。私が声を上げたときには彼はもう紐を引っ張っていた。隣の部屋からガタゴトと音がした後、鍵のかかった我が家のドアがガタガタと揺れた。

「ひかりちゃん!?大丈夫?」
「…ひかりちゃんだと?」

彼はまた眉間に皺を寄せて玄関へ向かい、ドアの鍵を開けた。隣人は勢いよく扉を開け、彼の肩越しに私を見て「大丈夫?」と言った。

「ごめんなさい、間違って引っ張っちゃったの」

彼と隣人が向かい合っている。とても気まずい、いや、気まずすぎる光景。身体が固まり何も言えずにいると彼が穏やかに切り出した。

「どうも、うちのひかりがいつもお世話になってます」

彼は隣人に手を差し出した。隣人は怪訝そうに握手に応じる。

「紐を引っ張るとすぐ駆けつけてくれるんですね」
「さっき、ひかりちゃんがすごい怯えてたんで」
「そうでしたか…。でも今夜はどうぞぐっすり寝てください」
「はい?」
「今夜は僕がここで見守るので、ご心配なく」
「えっ、やっ…」
「では、お騒がせしました。おやすみなさい」

彼はそう言って扉を閉めた。

あぁ、嵐が始まる予感がする。

(つづく)

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