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おかえり、の夜

「あれー?もう帰ってたんだー」

玄関のドアがゆっくり閉まる音とともに彼の熱く乾いた声がこの部屋の空気を変える。リビングに入るや否やソファ脇に荷物と身につけていた帽子やマスクを優雅に置くと、彼は両手を広げて私に笑顔を見せた。
こっちおいで、の、合図。

私は料理する手を止めてリビングへ向かい、彼の腕の中に入っていく。

「おかえりっ」

10日ぶりの抱擁が少し恥ずかしくて身体を硬くしたまま彼の胸に額を当てると、その長い腕は私をすっぽりと包みこんだ。

「ただいま」
「おつかれさま」
「まだ仕事してるかと思った」
「うん、今日は早めに切り上げてきたの」
「そっか。は〜、やっぱり家が一番だ〜」
「お腹空いた?」
「うーん、どうだろ。でも空いてるはずだけど…」
「そっか。とりあえずゆっくりして、お腹空いてから食べよっか」

柔らかな圧から身体を離しキッチンへ戻ろうとすると、彼は私の手首を掴んだ。

「え?」
「んー。もうちょっとー」
「ふふ」

今度は私も彼の背中に手を回す。細いけれどしっかりした体躯に体重を預ける。趣味の良い彼が選んだ爽やかな香水の香りの奥の方から彼自身の優しい匂いがふんわりと香った。彼が不在の間、私は寂しくて、でも寂しいと思う自分の感情に蓋をしていた。今、大好きな彼の匂いを嗅いだから、強がってた私はぷしゅーっと空気が抜けたみたいになって、そうなると私は彼から離れられない。

「…見た?」
「うん。ライブじゃないけど、YouTubeで」
「おー」
「すっごい…カッコよかった。びっくりしちゃった」
「ふふん」
「なんていうか、おめでとう」
「おー、ありがとう」
「ホント…凄いって思ったの。うまく言葉にできないんだけど、とにかく、感動した」

やっと満足したような表情になった彼はゆっくりと身体を離し、私の顔を覗き込むと頬に軽くキスをしてふふっと微笑んだ。

「荷解きしてくるね」

・・・

食事を終えた後、彼はソファに深く腰掛けずっとスマホをいじっている。インスタとか個人的な連絡とか、色々やっているのだろう。だから私は急がずゆっくりと片付けをして、デザートの果物も用意した。

「はい、どうぞ」
「お!メロン!」

子供みたいに嬉しそうな顔をする彼が可愛い。スマホを置いて、代わりにスプーンを持ち、メロンを掬う。「ん〜」と美味しく味わう顔をしたりして戯けながら、外皮近くの青い部分まで果肉をしっかり食べ尽くす。

「ホントにメロン好きだよね。いつも皮の青いところまで食べて」
「ここはここで美味しいんだよ。甘いところから始まって最後はここに行き着く。みんな平等に味わってあげないと」

全部食べ終わった彼はスプーンを置いて大きなあくびをした。

「疲れてるでしょ。まだ休めないの?」
「そうだね。今日はもう寝ようかな」
「うん、それが良いよ」

立ち上がりまた大きく伸びをした彼は奥の部屋へ向かうと少しだけ申し訳なさそうに私の方を振り返った。

「あの…」
「うん、大丈夫。今日は私あっちで寝るから。先に、ぐっすり寝てね」
「ありがと」

私たちはいつも同じベッドで寝るわけではない。彼が仕事に集中したい時とか、疲れている時なんかは別々に寝るのだ。そしてそれは案外、良い。いつもベタベタするよりも、付かず離れず、でもお互いを思い合うようなそんな関係が心地良い。

「おやすみ」

そう言うと、彼はタタタタッと私に駆け寄り、力強くぎゅーっと抱きしめた後、唇だけを押し当てるような色気のないキスをした。

彼のいなくなった広い部屋で、これ以上ないくらい綺麗に食べられたメロンをキッチンへ運びゴミ箱へ捨てる。彼がここにいる。それだけで、私は、幸せ。

・・・

ベランダから涼しい風が入りこむと美しいレースカーテンが揺れ、月光はウォールナットの床に影を作る。外の空気が少しだけ涼しい明日の空気に入れ替わる頃、私を覆う薄い布団がふわりと宙に浮いた。彼だ。まだ眠っているような顔で私のベッドにそーっと入り、そのまま当然のように私を背中から抱きしめた。耳元でスースーと寝息が聞こえる。その寝息は子守唄のように私をまた深い微睡みの中へ誘っていく。

ああ、この瞬間が…大好き。

fin.

今日シカゴから帰ってきた私の推しへおつかれさまの気持ちを込めて。
ここ数日ロラパルーザの感想文的なものを書こうと思ったりもしたのですが、人は満足しすぎると言葉を失ってしまうようです。だから代わりに久々の妄想文を書いてみました(Twitterでホビペン仲間と盛り上がったネタをそのまま使わせていただきました)。但し間が空きすぎて妄想小説の書き方をすっかり忘れてしまった笑。少しずつリハビリ的に慣らしていかなくては。(ん?望んでない?笑)

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