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ゲーム好きとeスポーツ好きが分断される日

最近ある気付きがあった。eスポーツ業界で働き始めてまだ数か月(2019年当時)の頃、私はeスポーツは「ゲーム好きの為に用意された次なるステージ」だと思っていた。つまり大きな希望を抱いていたのだ。(脱サラして念願のeスポーツ関係の仕事に就くことができたので、テンションが上がっていたのかもしれない)

しかし、徐々にその希望は打ち砕かれていく。

最初に違和感を感じたのは、とあるYouTube番組での「eスポーツとは何か」という特集をみたときだ。

最初の違和感

司会のアナウンサー(自称ゲーム好き)は、有識者のゲームメディア編集者に対して「ゲームとeスポーツの違いは何か?」と問いかけ、ゲームメディア編集者はその問いにこう答えた

「ゲームには様々な遊び方があります、その中でも技を競ったり観戦したりする楽しみ方、それがeスポーツです(要約)」

当時の私はこのやり取りに2つの違和感を抱いた。1点目は「ゲームとeスポーツの違いは何か?」という問いに対してである。そもそもゲームとeスポーツに違いはないはずだ。番組の構成上仕方ないことだが、この問い自体がeスポーツの本質を捉えていないし、ゲームとeスポーツの関係性を複雑にさせるだけだ。

2点目はこの質問に対する返答だ。第一声として、まず「いえ、違いはありません。eスポーツとはただのゲーム大会です。」とコメントをすべきだと思った。その上でどうしてeスポーツという言葉が生まれたのか、背景を深堀して説明すれば良い。

細かいようだがこれは重要なことだと思っている。本当にゲームが好きな業界関係者であれば、ゲームとeスポーツが別モノであると誤解させるような表現は避けるべきだし、それが個人の見解では無く、eスポーツ業界全体の雰囲気なのだとしたら、速やかに軌道修正するべきだと思っていた。

思っていたのと違う

だが結論として、私が間違っていた。eスポーツ業界で働くうちに少しずつ分かってきたが、明らかにeスポーツ業界のステークホルダー達は「ゲーム好きに向けた市場」とは別に「eスポーツ好きに向けた市場」をゼロから作り始めていた。つまり、意図的にゲーム好きとeスポーツ好きを分断させようとしていたのだ。

既にゲーム好きとeスポーツ好きの分断が起きていると仮定するならば、以下のすべてに合点がいく。

・JeSUのプロライセンスの方針とゲーマーの見解の相違
・ゲームという言葉からeスポーツに変わることに対する世代間の認識差
・古参ゲーマーの置いてきぼり感

これから待ち受けるeスポーツの未来は、従来のゲーム好きの為に用意されたものではない。eスポーツ関係者が作り上げようとしている世界は、古典的な(既得権益にまみれた)ビジネスモデルに当て嵌められた、フィジカルスポーツ&芸能の焼き回しの世界だ。

ボトムアップではなくトップダウンで構築され、マス層の獲得のために強力なコンプライアンスの圧力を受け、興行イベントとして成立させるために関係者全員(プレイヤーも含めて)がスポンサーの顔色をうかがうことになる。

具体的に何が起こるかというと、ゲームをやったことも無いし好きでもない客層がeスポーツ好きとして登場し始める。出演者側にも同様の現象が起こるだろう。既に最近(2019年)でも、グラビアアイドルがゲーム好きタレントとして売り出されていており、彼女たちは保守的なゲーマー層(ゲーム好き)から批判を受けがちだが、eスポーツ好きにとっては日常風景になる。この時点で、ゲーム好きとeスポーツ好きとではスタンスが異なることが分かる。

負けを認めた後どうするか

思っていたのと違った。そして、この流れはもう止められないのも悟った。圧倒的な敗北感と己の無知さへ無力感が襲い掛かってきた。私が(勝手に)期待してたゲームの未来はもう無いのだ。

負けを認めたうえで、改めて現状認識と主張を整理すると。

ゲーム好きとeスポーツ好きの分断が起きているが、それを”悪いこと”だとは考えていない無い。野球を一度もやったことない野球ファンがいるように、大衆向けになる上では、俗っぽいアプローチで”にわか”を取り込むのは当然である。

頭を切り替えた私は、この状況を”楽しい”と思っている。eスポーツ業界での仕事が楽しいのはゲームが好きだからではなく、良くも悪くも業界全体がまだまだ不安定だからだ。業界全体が一枚岩ではない、今回の私がまさにそうだが、eスポーツという用語に対しての認識や思い入れも人によって異なる。

・eスポーツに骨を埋めるつもりの人
・eスポーツの波に違和感を感じつつも、水を差さずにひたむきに頑張る人
・eスポーツに金の匂いを嗅ぎつけてきた策士

みんながそれぞれの最適解を見つけるべく奔走している。共通していることは、誰もがeスポーツをただのブームで終わらせたくないと考えていることだ。そんな野心的な人たちと少しでも仕事で関わらせてもらえるのが、とても光栄であり掛けがえのない経験になっている。

最後に負け犬の遠吠えを

私はこの4年間、仕事で数多くのeスポーツイベントに参加した。そこにあったのは、熱狂的で陽気でオープンな空間だった。とても素敵な空間だった。しかし、同時にゲームを始めた頃の自分を思い返した。

そもそも、僕はこういう空間が苦手だからゲームを始めたのでは無いのか。

ゲーム好きとeスポーツ好きの分断は既に起きている。そして、ゲーム仕事とeスポーツ仕事は求められる適正が違う。自覚している者は少ない、わざわざ声に出す者はもっと少ない。僕はジャーナリストなので、今後、出会う人達の一挙手一投足に注目していくつもりだ。本音を言わない人とは仕事をしたくないので見極めていく。分断が起きている現状に無自覚だとは言わせない、問い詰めてその場で考えてもらう。僕は他の人達が”今”何を考えているのか知りたい。

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