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Bring the noise: 雑誌オリーブを読んでた野郎の話

雑誌オリーブという雑誌がかつてあった。80年代後半から90年代に一世を風靡した、少女向けファッション雑誌である。

カルトな人気が依然あって、例年イベント的に復活するのだが、そのニュースのたびに当時のオリーブ少女(現オリーブおばさん)が歓喜、そして手に取って「なんか違う」とガッカリ、を繰り返させる罪な雑誌である。

この雑誌、世代によって印象が変わるのだが、アイコン的には、オザケン、アニエス、カフェオレボウル、リセエンヌ…そんなのが今は一般的だと思う。

だが俺が最も影響を受けたのは、渋谷系的アイコンが完全に確立するちょっと前の、最もオリーブが内容的に暴れていた(狂っていた)時代である。


そんな雑誌オリーブとは何ぞやというのは、数々の著名人や元読者が語っているのだが、俺個人としては、”おしゃれさ”は二の次で、一言で言うと”インディーズ精神”である。言い換えればパンク+DIYでやったれ、という、実に素晴らしい精神である。


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これは当時の情勢がわからないと、カフェオレボウルのどこがパンクなんじゃい、なのかもしれない。

当時の日本のティーンエイジャー男子は、実は選択肢が少なく、ヤンキー(尾崎豊系ローファイ・ヤンキー含む)と体育会、でほぼ独占されており、とにかく男子はそれ以外はボンクラ扱いである。

よって、正規軍ティーンエイジャー男子は、正しく親と教師に反抗して、盗んだバイクで走りだして、夜の校舎窓ガラス壊してまわるか、39度のとろけそうな日に、炎天下の夢プレイボールを求められたのだ。どっちの才能にも欠けている俺にとって、最悪な世界である。


一方、その男子メインストリームの犠牲になったとも言えるのが、女子だ。

女子はヤンキー男子にバイクのヘルメットを突然投げられ”乗ってけよ”と言われ、学校サボってホットロードをブッ飛ばす必要があったのである。もしくは野球部の女子ジャーマネになって、星屑ロンリネスな気分で、ちょいと惚れ/惚れられてるピッチャーを、遠くで見つめる必要があった。

もちろん俺は、正規軍男子では無かったので、そういう女子には全く相手にされなかった。てか他の女子にも相手にされなかったが。

要は求められる若者の男女像がメチャクチャで、かつ選択肢が限られた、そんなファシズム時代だったのだ。

その状況下でのカフェオレボウルとは、男女ティーンエイジャー正規軍にとっては、全くの無価値、もしくはドンブリだろと大笑いされるシロモノであったといえる。


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この時代の下で初めて雑誌オリーブを読んだときの衝撃はすさまじかった。

オリーブは、当時のファシズムに屈することなく、世界中からセンス良さげなものを勝手に取り上げ、時には勝手に自作して戦っていたのだ。

なによりも驚いたのは、怒りである。彼女たちは怒っているのは理解できる。だが「こんなクソダサい世界は嫌なんじゃー!」とストレートに怒ってるのではなく、キラキラとした前向きな「!」と「。」を使った見出し、そしてセンスあるファッションで怒りを表現しているのだ。手法は違えど、精神はパンクである。


俺は思った。

「この雑誌も読者も、クソッタレな世界に反旗をひるがえし、雑貨や服やサブカルチャーを武器に戦っているではないか。武器がなければ”へっちゃらだよ!私たちのお似合いの武器、作ってみない?”だ。そうだ、その手があるのか!」

のちにこの考えは、BBCのドキュメンタリーで観た、80s英国インディーズの精神にかなり近いことが分かったのだが、それを当時の編集者たちは意識したのかどうかはわかんない。

とにかくその態度が最高にカッコよく思え、それで俺は、雑誌オリーブおよび読者へのリスペクトが始まった。とにかくそこに広がる世界は新鮮で、シンナー臭いヤンキーも、汗くさい坊主頭どもからも離れた、様々な選択がある自由を感じたのである。

こんな冴えない野郎でさえも、だ。

出てくる単語も地名はサッパリだし、この裏表紙の”パーソン’の”って意味のブランドもよくわからん。だが、俺なりに何か探して、何か作って、楽しい世界を作ることもできるかもしれない。今いる場所で立ち上がれ、とR.E.Mも言ってたぞ。

...と言うワケで、沸々と「前に飛び出す」パワーを得た俺は当日、プラモを丁寧に作る、というアサッテな方向に働いた。

ちなみに俺が衝撃を受けて読んでいた、そのオリーブの持ち主の女子は「なんで勝手に私の持ち物触るの!?信じられない!」と激怒し、以降俺は、3日と18日にオリーブは本屋で読まなければならなくなった。


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そんなことがあって以降、俺は雑誌オリーブをずっと読んでいたのだが、90年代の半ばに渋谷系が流行り始めた。雑誌オリーブは、相思相愛であろうカジくんやオザケンとかなり蜜月な関係になった。

俺はそのあたりから、ちょっとオリーブに対しての情熱が徐々に薄まってしまった。彼女たちは戦いをやめてしまったように見えたからだ。

頭のおかしいハンドメイドや着こなしは紙面から減った。

シャレオツごはん、そしてシャレオツ雑貨のGuruたる堀井和子さんが、デフレパードさん聴いてるとか、そういう「え、それもアリなんすか。そういやそうだな!」というそんな発見も減っていった。

 雑誌オリーブでは、他人には”さん”づけしないければいけないルールがあり、それを破ると「このデコ助野郎!」と罵られる。

彼女たちは、ファシスト政権を打倒し、彼女たちの望むオザケン大統領を擁立できて怒りが消え、そして大統領の元、オリーブ国の制服や振る舞いが制定された、そんな気もした。

それまでは「男子」は漠然とした「ボーイフレンド」というファンタジーの世界だったオリーブに、理想のリアル男子が登場したわけである。彼女たちのクソッタレな世の中を変える戦いは、終わったのかもしれない。

そんな中「パジャマでお出かけすれば、ほら、いつもの風景も変わって見えない?」とか狂ったこと言ってられないわな、そりゃ。


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オザケン大統領擁立以降、雑誌オリーブは、北欧とか色々迷走して、結局休刊してしまった。

なんてこった。同志が消えちまったなあ…と思ってしばらくしたら、その後クウネルという「ほっこり」雑誌が出た。創刊号を立ち読みしたら、ちょっとカッコいいではないか。いまの消費文化に対抗していて立ち上がった、そんな風に見えた。


この雑誌のスロービート...!

オリーブのあの怒りが”白い暴動”なら、これはクラッシュがレゲエをやった感じか?そんならこの雑誌はパンクではないのか!

しかも微妙にDIY精神があるぞ。これぞオリーブの正統継承雑誌に違いない!


喜んだ俺は、しばらくクウネルは買っていたのだが、回を重ねるごとに違和感が出てきて、ついには購読をやめてしまった。

自分では何故買わなくなったのか、当時わからなかったが、のちにクウネルがリニューアルした時の、読者の反応を見て明らかになった。

「こんなのはクウネルじゃないです。もう買うのをやめます」

ちょっと待て、同志たちよ。雑誌オリーブの精神を忘れたのか。

ここは「だったら作ってみない?わたしたちの素敵な雑誌!」であって、引っ込むとこじゃないだろっ!なんでそこでスネたり、嫌味ったらしいこと言うんだよっ!

…と考えていたが、そもそも俺が間違っていたのかもしれない。

クウネルは、雑誌も読者も、別に戦うつもりはなかったんではないのか。
ほっこりというエリアに単に避難していただけなのかもしれん。

実態はわからないが、俺がクウネルにオリーブの代役を勝手に与えてたのは認める。

....

最初に戻るが、雑誌オリーブには、「これでええんや」「これもええんや」というダイバーシティ(多様性)の容認と、なんか気に入らなかったら、それは自分で武器を探すか、なんかで作って解決するんや、というインディーズな精神を教えてもらった。

本当にそれは糧になっていて、なんだかんだで俺のショボい人生にとって、かなり役に立っている。このウェールズでは、いや英国全体かもしれないけど、それらの要素は生活面ですごく重要で、オリーブから学ばなかったら、うまくこの地で適合できなかったかもしれない。

だからオリーブ少女は、俺の中では”少女”ではなく戦友(とも)であり、オリーブはファッション雑誌と言うよりも、かっけえバンドに近い。クラッシュとパブリック・エネミーとオリーブは、俺の中で完全につながっている。

3者とも、人種・性別・ジャンルとまるで違うけども、クラッシュはカリブ系の音楽を取り入れ、パブリックエネミーはスラッシュメタルを取り入れ、そしてオリーブは、へっちゃらだよ!の一声で、ジャンルの垣根を越えて、怒りをベースに人々にメッセージを伝えたのだ。

逃げるな。前を向いて戦え。それぞれ各々の方法で。


フィジカルな紙という舞台での雑誌オリーブは今は存在しないし、復刊はレガシーとしての扱い以外は難しい(=リブートは難しい)と思うのだが、21世紀において雑誌オリーブ的精神が発揮できるのは、実はYouTubeやTwitch、TikTokやインスタ上なのかもしれない。テクノロジーは体制を揺るがして、個人に味方するからだ。

どうしても雑誌オリーブは、ファッション誌という存在故に、”少女”という前提での80s-90sサブカル文脈で語られることが多いな、と思っていた。

あと、”当時のオリーブ少女に与えた功罪”という視点は俺には全くなかったので、すごく新鮮だったが、悲しいかな、そこはやはり男女の差があるのかもしれない。正直、文章は理解できるんだけども、「...だよなぁ!」という体感はできてない。俺のこの文章も逆に、女性の中には「なんでオリーブがパブリックエネミーさんになるの?」の人もいると思う。きっと。


そんな様々な人が雑誌オリーブを振り返っている中、男性読者側の視点がネット上はほとんど無かったのと、雑誌オリーブの持っていた怒りについて、記述しているモノがやや少ないと感じたので、今回長々と書いてみた。

なにはともあれ、Diolch yn fawr, Olive.

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