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人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇


夕方、涼しいと思ってねこと外でちょっとあそんだら蚊に刺されまくった。体にやさしいやつで効果てきめんな虫除けはないのか( ;∀;)



お寺にいった。
小さいけれど、思うように進まないことが続いて(お母さんあるある)いらいらしていて、いただいた接心は「感謝」だった。
(ですよね苦笑)

般若心経のなかに「六不の譬え」というのがあり、かたよった考え方から離れなさいというのを読んだばかりだった。この世のありとあらゆるものは縁の集合体で、だからこそ常に変化するもの。その中で、こだわりや偏りにとらわれると窮屈な世界で生きることになる。
物事は単発で捉えるより、ひいて全体から捉える。自分のちいさなこだわりに気づくと、笑ってしまうくらいくだらないことを気にしていた自分に気が付く。

感謝できる気持ちそのものが生きやすさであり、幸せを感じる心だというのは痛いほどわかるのだけれど、こちとら煩悩おおき人間。
なんべんも繰り返し、いろんな方法でわたしの中に染み込ませるしかない…
当たり前のようなこと、がまだまだわかってるつもりでわかってないんだな、ほんと。

たくさんの変化や、人との関わりが避けられない立場の人で、凪のように心を保つ人がいる。
責任を負いながらも、常に風向きが変わる人間関係の中で、機嫌よくチャレンジし続ける。そんなことができるんだな。自分の心もちゃんと自分で見れる、かっこいいな。

コツは、「人間本意で動くのではなく、み仏さま本意で動くこと」らしい。自分で選ぶのではなくて、自分の元にきたものを「次はこれをさせていただきますね」という気持ちで取り組ませていただくこと。縁あって自分にさせていただけることがあるから、み仏さまが道をつけてくれたのだという気持ち。
違うものは、自然と離れていったりポシャるのでいちいち執着しない。

小学校、せめて中学で習いたかったな。
さんたは幸せだ。

フラットな心に戻せるこの空間、時間、習慣はわたしの一部。ちょっと心のゴミを掃除できると、またスペースがあいて、よしがんばるか、となるのです。

ありがとうございます🙏

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