症状は意識にのぼる“形”になった結果

いつも思うんです

症状は意識にのぼる“形”になった結果である。
結果として認識されるよりずっとずっと前から
肉体内で原因となるさまざまな要素が水面下で渦巻いている。

同じ考えをより広い視点で考えてみてください。

“私”と思っている肉体すら形になった結果でしかない
ということ。
もうすでに結果なんですね。

“私”を生み出すに至った、生かされ続けている
という想像を絶するほどの水面下で自分を生かしてくれている
様々な要素があるということ。

症状が結果で、肉体内の様々な要素が原因
その原因であるはずの肉体すら結果ともなり
産み落としてくれ生かしてくれてる壮大な原因がある。

仮に結果であるはずの症状でイライラして誰かと喧嘩したら
症状は原因になり、ケンカが結果となる。

そう

ただただ連続し続けているだけなんです。
巡り続けているだけなんです。
じゃあボクは何ができるだろう?何を巡らせられるだろう?

どこに視点を置くか、どう視野を広げるかで
“言葉”はどうとでも言いようが変わるんです。
そんな世界を言葉遊びのように楽しみながら。

大上は言葉にとらわれず
ただただ巡るものに
最高の循環を。

目の前の命を通して深い深いところへも
そして目に見える広い広いところへも
綺麗にきれいに広がることを祈って
そこにたたずみます。

広く世界の本質からもう一度
自分の命の巡りを見つめる時間

それが大上の手当て。

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