ただ歪んでいる…のではない「生き抜く表現」である

嬉しい時に立ち上がってガッツポーズをする
悲しいことが起こると背中の力が抜けてうなだれる

心の動きは一瞬で身体に表現される。

分かっているようで忘れられています。

右前にいる誰かが怒ってきた。
右後ろから犬が追いかけてきた
左手をドアに挟んだ
左側に苦手な人が座っている

嫌な出来事の全ては真正面から起こることはありません。

そしてその真正面ではないネガティブな出来事は
身体に表現されるにしても
“必ず真正面ではなく、そのネガティブな問題から逃げるように表現される”
ということ。

ここの筋肉が硬い
骨盤が歪んでいる
背骨が捻れている
姿勢が悪くて

それは
ただモノとしての肉体の表現でしょうか?

忘れないでください。

過去の色んな方向から起こった問題に
命を守るために反応した逃げてでも
“生き抜く表現である”ということ。

ただ歪んでいる
で片付けないでください。
ただ背骨を真っ直ぐに。骨盤を真っ直ぐに。
で喜ばないでください。

それは自分をモノとして見ているのと同じです。

その奥底にある
そうせざるを得なかった自分がいること。
まずは見つめてあげてください。

そんな奥底まで
手を当てる。

そんな命との対話。手当て。
ますます、深く大きく。

大上詞史

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