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靈氣療法家がコロナ陽性になって家庭内療法の重要さに気づいた話

龍神靈氣読本は毎週一回更新します。

わたしは5年前、生まれてから半世紀暮らした神奈川県湘南から京都西陣へ移住しました。
移住については常識的に考えられない話しかないので、まぁ一旦置いといて笑。
その西陣の片隅で小さな拝み屋を開きました。
なぜ拝み屋か、といえば湘南で霊媒師をしていたからです。
しかし、最初から霊媒師だったわけではなく、いまから20年前に「臼井靈氣療法家」という代替療法家になったことがすべての始まりでした。
臼井靈氣についてお伝えすると、全世界で700万人が実践する民間療法です。
その発祥は京都であり、一人の日本人禅僧であるにもかかわらず、国内でそのことはあまり知られていません。
それどころか、それを逆手に取った方々が根も歯もないデマを実しやかに広めている現実があります。

「臼井甕男は、靈氣をお商売にしはった」
わたしは上洛して2年目に某宗教の方に、公衆の面前でそう言われたことがあります。
世界的にみて、これほど無知な発言はなく、またそれを発祥国の国民が開眼の地である京都で堂々と公言してしまうことは残念以外のなにものでもありませんでした。
今年100年目を迎えた臼井靈氣療法。
80年続けば文化となるという説がある中、ようやく大台に乗った感がある念願の100年目。
バトンを繋ぎ続けた先人たちには、頭の下がる思いです。

と、長い前置きが終わったところで。
その靈氣療法家のプロであるワタクシ、実は最近コロナ陽性者となり自宅隔離真っ只中。
感染経路は今どきコロナあるあるの(多分)家庭内感染。
夫は医療関連のエッセンシャルワーカーでもあるので、一応の覚悟はありましたが、ついに来たか、的な感じ。
そして敢えての夫婦ともワクチン接種しない派、さらにわたし自身は薬物アレルギーがあり投薬治療が受けにくい体質です。
先に発症した夫はずっとそのことを気遣ってくれていましたが、普通に考えて明らか寝てるだけでギリギリに見える家族を見過ごせますか?
わたしには無理でした(まがりなりにも、人を楽にするお手伝いを生業に選んだ身です)。
自覚症状もなくピンピンしていたので、感染対策を取り介護生活に突入。
その2日後に発熱し、外来で陽性と診断されました。
ドクターと相談した結果、アレルギーがでる危険性を考慮して現在唯一コロナ陽性者に処方されるであろう頓服の処方もなし。
この日から10日間の自宅隔離となりました。

罹患前にコロナ後遺症のお客様を何人か見ていました。
だいたいのお話は、仕事柄聞いていたのですが現実に罹患したコロナは、まあ話の倍は身体の痛いこと!
初日は口をひらけば「痛い痛い痛い」を連呼、それでも熱のピークは8.9°。
頓服がでていないため、痛みがどれほど強くても頼りにできるのは自分の右手、つまり靈氣療法だけです。
自分の経験してきた臨床のすべての経験を集めて、自分の体と命を守る。
まさかこんな日が来ようとは、そう思いながら夜が明けていきました。
その甲斐あってか翌日の夕方には7°〜平熱へ、以降身体が時々痛みはするものの緩やかに回復。
初日は食べられないどころか飲んだ水分を夜中に吐く勢いでしたが、翌日には少しずつであれば食事も取れるようになりました。
保健所の許可を得て、オンラインで業務再開もできました。
発症3日目に自分の体調が落ち着いてからは罹患前同様夫の食事の面倒を見ることができるようになりました。
コロナは罹患すると保健所から電話連絡があります。
わたしは2日目に連絡がきましたが、先に罹患し保健所から「生活必需品を送ります」と言われたはずの夫の便が到着していないうちに、ひとり一人ですので、と、わたし宛の物資送付の話があり。
先の予想が立たない時期でしたので送付をお願いしましたが、未到着のまま夫は罹患7日目を、わたしは5日目を迎えようとしています。
(これ、単身者の方だったら、相当不安ですよね?)
夫婦で発症時期にズレがあり、まだ濃厚接種者だったときに買い貯めたものと、近くに住む家族の置き配、ネットスーパーで乗り切ったこの7日。
わたしはたぶんだいぶ軽度で回復も早かったから、落ち着いていられますが、これがだいぶ重たくて、一人で、洗濯やらなんやら一人でやらなきゃならない状態だったら。
きっと相当しんどいだろうと思うのです、なによりコロナ禍と言われる状態になって丸2年過ぎてもまだこんな混乱状態にあることにびっくりしました。
知らないって、本当に怖いことだというお話。

その昔、臼井靈氣は嫁入り道具だったといいます。
薬や治療が不安定だった大正時代、家族を色々な意味で「介護」できる嫁はある意味宝のように大切にされたことでしょう。
なにより女が床に着くことが憚られた時代、大切な我が子の身を守るために嫁入り道具として、持たせたのではないか。
そんなことを思う経験でした。
親が我が子に最後に願う唯一のことはきっと、笑顔で生きていてほしいという祈りにも似た想いではないかと思うから。
その子がその想いに守られて、やがて伴侶を得て子を持ち親となり、その子に同じ願いを祈る。
そのバトンとして臼井靈氣療法は存在してきたのではないかと思うのです。
一家総倒れにならないことの重要さを、今回は嫌ほど体験しました。
要になる人(主に家事を担う人、収入の柱を背負う人)は闘病が長くなるほど不安に駆られていくでしょう。
家庭内療法は万能ではありません、個人差もあります。
しかし、無力や無意味ではない。
医療崩壊、医療逼迫が叫ばれて久しいからこそ、予防医学と家庭内療法については、自衛策と日々の備えとして身につけておくべき時代が来た気がするのです。

100年前には存在しなかったコロナウィルス。
もし、臼井靈氣開祖の臼井甕男氏がいま存命でいらしたら、まずなにをされるだろうか。
100年のその先へバトンを継ぐ道を選んだものとして、わたしにできる精一杯をプロとして伝えていこうと思っています。

日本に数えるほどしかいない故人の通訳。イタコでも口寄せでもなく三者面談風にお筆書きという自動書記を使い故人と遺された人をつなぎ明日を照らす活動をしています。サポートくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。