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34歳になりました

こんにちは。昨日、無事34歳になりました。
1週間前にウィッシュリストを公開したのですが、引越しかな?って思うくらいたくさんのダンボールが届いています。みなさん本当にありがとうございます!全部大切にします。(今回体験したことは別途ブログにまとめようと思っています)

この歳になると、「もうおめでたいと言われる歳じゃない」とか、「歳をとりたくない」とか感じる人も多いのかもしれませんが、私はあまりそう感じません。無事に1年暮らせてよかったなーめでたいなーと思います。
ニュースやネットには悲惨な出来事が溢れているので、今のところ大きな病気や怪我もせず、事件や事故にも巻き込まれず呑気に暮らしていることが、奇跡的なことだと感じます。
好きなものや人たちに囲まれている毎日がとても楽しいので、この調子で平均寿命までは生きてみたいなあと思っています。
(ちなみに、厚労省では「生命表」っていうのを出しているんですが、結構面白いですよ https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/life/life17/index.html

さて、先日の職場の飲み会(ありがとうございました!)で「34歳の抱負は?」と聞かれたのですが、うまく伝えられなかった気がするのでここに書いておきます。
34歳の私は、「猫を目指す」。一体何を言っているのかという感じなのですが、下記の文章がとても簡潔にこの願望を表しています。

『どうして猫が好きなの?』と、いわれても、それは困る。私が猫を好きなのは、なにか理由があってその結果好きだというのではない。理由などあれこれ考えるより以前に、すでに好きだという事実が厳存しているのであって、いわば好きだから好きだ、とでもいうよりしようがなかろう
(伊丹十三「猫」)

要は「存在給」というものを上げたい、「なんか知らんけど死なないでほしい」と思ってもらえるような人でいたい、ということです。
できればそんなことを意識して生きたくはないです(猫だってそんなこと考えてないと思う)。だって、ボイトレをして歌唱力を上げた歌手より、特別な練習をせずとも人を惹きつける歌が歌えるロッカーの方がかっこいいと思うから(個人的にですが)。
でも、今回ウィッシュリストにたくさんのリアクションをいただいて、「あ〜この人たちとずっと一緒にいたいな〜」と思ったんですよね(別に物が欲しいということではないですよ!)。そして、「わたしがいたらなんか知らんけど楽しい」と思ってもらえたら嬉しいなあと。

だから、一緒にいられるような自分であるために、意識して生きていくことは大事だと思ったんです。私は猫ではないので。
そのために、いろんなことに触れて、感情をたくさん動かして、味のある脳みそにしていきたい。だから、私が興味のなさそうな界隈の場所やイベントにも誘ってください、作品もおすすめしてください、面白い話をたくさん聞かせてください!よろしくお願いします。

逆に、この1年で意識してやらないこと、も決めました。それは、「自分がダサいと思うこと」。
例えば、「言い訳をする」とか、「何かを下げることで何かを上げるような物言いをする」、「自分の頭を良く見せようと背伸びする」みたいなことです。
他人がそういう言動をしているのをみたとき、単純に「ダサっ」「はずっ」って思います。でも自分も時々やっちゃう。だから、34歳の私は、意識してやらないように努めよう、と決めました。

私には配偶者や恋人、子供のような、自分を肯定してくれる絶対的な存在がいないし(「絶対的」とは限らない、みたいな話は一旦置いておいて)、これからもそのような存在が現れる確率の方が低いだろうし、いつまでも両親が元気なわけではないので、頼れるのは自分だけです。34歳の私は、自分自身にぐっと意識を向けて、来年の誕生日も「無事に生き延びられたし、割といい感じの1年だったな」と振り返られるような暮らしをしていきたいなと思っています。
また1年よろしくお願いします。

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