魚――だが、サンショウウオがイソギンチャクであったなら!

飯塚書店編集部編『短歌表現辞典 鳥獣虫魚編』(飯塚書店、1997)の魚の歌を見て騒ぎます。ルビは〔 〕
あゆ「蕗の葉を敷きたる上に新月のごとく光れる鮎置かれたり 安立スハル」
チョコレートを見ながら、なまずのような水槽の魚とペンギンは、ケーキを思う
あゆ「身を伸べて鮎となりたきわれの背を濡らすごとしも室内楽は 春木真木子」
クラリネットも、時々、フルートになりたいオルガン。体操とピアノとカマキリ
うお「葉脈の如くに骨の透く魚を簀の子の上に並べほしたり 真鍋美恵子」
ナマズが、むらさきいろのものを食べる、恐竜の時代のエビとネズミ(のように透明)
うつぼ「水槽にうつぼ冷え冷えと青濁りたり春の愁ひに 馬場あき子」
なまこの水槽が、銀色の柱(いくつかの数)に支えられるアメーバは、テレビ
えい「水槽にエイ泳ぐとき春の日の杳き想いはひるがえりたり 早川志織」
このようなタラも、この星にいる深海のサメの絵なのか、イカの発見と〈うぐいす〉
かたくちいわし「小〔こ〕鰯を簀〔す〕の子〔こ〕に干してひろき庭町は雑音のなき真昼なり 松村英一」
にわとりを、きのこが畑のようなネギ(がたくさんある場所)で見るスポーツが、小屋
かれい「いまわれはうつくしきところをよぎるべし星の斑〔ふ〕のある鰈をさげて 葛原妙子」
犬がたくさんいる雪だな、そこに乾燥しているスキーをするメダカとか、ウニ
ぎょらん「くれないの鮭のたまごは雪山にはこばれて白き皿をかざれり 佐佐木幸綱」
屋根に(小さい犬だ)塗るペンキを見て、ゴジラはうずまきにならないと思える
きんぎょ「ひらひらと猫が金魚の水呑めりその舌先にまつはる金魚 岡山たづ子」
ピアノが鳥の音楽と踊る犬の音楽と、細かい点。そこに、エラのある虫……肺魚
さめ「鱶〔ふかざめ〕は大地の上に歩かねばただにごろりところがされたり 北原白秋」
ノコギリで(音を出しながらアヒルが)氷を切ると、アニメが言っている酢
(さんしょううお「サンショウウオ水にいるごとやわらかく秋の陽ざしに包まれている 早川志織」
イモリと腕が、おはようございますであると牛と金属も思うのだが、窓は魚類ではない両生類)
しんかいぎょ「客乏しき地下レストラン気泡立つ大き水槽に深海魚飼ふ 礒幾造」
なまず図鑑を見ていたら、くだものを食べる気分で楽器をかじる魚〔うお〕、絵
たい「鳥ならば猛禽ならむ怒りたるごとき鯛の歯みな外を向く 稲葉京子」
ふくろうは、それからカワウソとカワセミであると言いたかった。机は磁石
たら「港町ゆくトラックが落としたる鱈一本の腸〔わた〕まで真冬 三井修」
アザラシがトラックから(魚のように)落下して、少年アシベとゴマは出会ったのか
とびうお「飛ぶ、飛ぶ、とび魚がとぶ、朝日のなかをあはれかなしきひかりとなり 若山牧水」
実際にはペリカンですよ、そして缶詰はそこからケーキとなっていた(かじる)
はや「岩間つたひながるる水に日のさせばひそめる鮠のおどろきやすし 大岡博」
このように水槽に何かを貼り付けてはいけないよと、蛍光のペンが喋った。冷蔵庫
ぴらにあ「ピラニアが豚を喰ふさまみてゐたりわれらときにはピラニアに似る 時田則雄」
ピラニアは1種類だけではなくて、斜めですよ、と、大きなエイとイワシの群れと是
ふな「生鮒〔いきふな〕の持ちこまれたる庭先の空気はうごく昼暗くして 鹿児島寿蔵」
ハトがいれば、ねこが見る紙のようなテレビは、体操ではない虫
ぶり「一ひきの鰤を背負ひて港より舗道に出でぬ雪乱れふる 大野誠夫」
時々、スプーンを映画で見ていたから、このものの中には胡椒が入っている。飴も
ほっけ「北の市場売れ残りたる一皿のほっけは裸電球の下 沖ななも」
超能力がうまいですね(セミが言っていたようだ)木が並んでいる、うれしい金属
まぐろ「うけ口を半ば開きて無表情に遊泳す大航海者クロマグロの群 滝沢博夫」
映画で、ホタルが花のように虫になるカマキリであることを、シラサギ見る(見ていた)
ます「五十万尾の鱒あそぶ池見をり秋晩き今日を紅葉散る下に 前川佐美雄」
豆腐というものは、動いているだろうコンニャクだ。ポップコーンと七面鳥
らんちゅう「おそろしきもののはじめと誰か言ひ月光の桶にゆらぐ蘭鋳 苑翠子」
チョウザメを池で金魚が見ている鯉だから、シーラカンスを見て犬だと思う〈たぬき〉

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