歌(1967年の『現代詩集』と、1973年の『現代詩集』)

筑摩書房の「現代日本文學大系」第93巻『現代詩集』(1973)は、筑摩書房の「現代文学大系」第67巻『現代詩集』(1967)では、ないのだ。1967年の本が2段組で、1973年の本は、3段組である。ページの数は、1967年の本のほうが約80ページ多いので、読める詩の量は、この2冊は、あまり違わないのかもしれないし、1973年の本のほうが、どうしても3段組であるので、多いとも思える。文字の大きさは、2冊、同じくらいである。大手拓次『藍色の蟇』(1936)は、この2冊、両方にあるけれど、1936年の本(255篇の詩)を、どちらも、すべてを読めるのではない。1967年の本では『藍色の蟇』は2段組で243~262ページ、1973年の本では『藍色の蟇』は3段組で77~111ページ。段の数もページの数も増えたので、1973年の本で、たくさん読めるようになった。しかし、1967年の本では読めて、1973年の本では読めない詩もある。ここから、この文は、くりかえしのある歌になる――1967年の本で、誰が『藍色の蟇』から詩を選んだかわからないが(1934年に亡くなっている大手拓次ではないだろう。誰なのだろうか、どこかに書いてあるのに、私が見つけていないのか)、「解説」(486~502ページ)を書いている篠田一士であるのだろうかと思ったり、詩人たちの「年譜」(478~485ページ)で「筑摩書房勤務。」(484ページ)と書いてある吉岡實(この本で『静物』412~423ページが読める)であるのだろうかと思ったりしている。そして1973年の本で、誰が『藍色の蟇』から詩を選んだかわからないが(どこかに書いてあるのに、私が見つけていないのか)、「解説」(405~411ページ)を書いている篠田一士であるのだろうかと思ったり、詩人たちの「年譜」(千葉宣一編、412~424ページ)で(昭和)「26年、筑摩書房入社。」(421ページ)と書いてある吉岡実(前に出てきた吉岡實と同じ人。この本で『僧侶』275~286ページが読める)であるのだろうかと思ったりしている


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