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小笠原諸島を取材して30年。小笠原の本を5冊(2冊は小笠原のNPO法人が版元)書いてい…

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小笠原諸島を取材して30年。小笠原の本を5冊(2冊は小笠原のNPO法人が版元)書いています。6冊目執筆中。著書「小笠原が救った鳥〜アカガシラカラスバトと海を越えた777匹のネコ」緑風出版、「小笠原自然観察ガイド」山と渓谷社、「オガサワラオオコウモリ 森をつくる」小峰書店ほか。

最近の記事

逝ってしまったあなたへ

あなたの訃報が、回り回って昨日届いた。 亡くなったのはもう1ヶ月以上前のことだったという。 2年前までは、とても近しい存在だったあなた。 プライベートでも仕事でも。 子どもも含めて一緒に旅行にも行ったし、飲んだり、食べたり、ただおしゃべりしたり。 仕事もいっぱいしたよね。一緒に本づくりをして、うわあ、こんなふうにページを作ることができるんだ、と嬉しくなるようなすばらしいページづくりをしてくれた。 だけど、2年前にあるいさかいがあって、やりとりはぴったり途絶えた。 わたしも、そ

    • 心の島 小笠原‐29   5年がかりの本が出版された

      昨年10月末に、小笠原に関する6冊目の本を上梓した。 『ネコがくれたしあわせの約束』あかね書房  小学校3年生以上の人が対象の、児童図書だ。 これは「小笠原ネコプロジェクト」をドキュメンタリータッチで書いた2018年の『小笠原が救った鳥〜アカガシラカラスバトと海を越えた777匹のネコ』(緑風出版)の子どもバージョン。 上記の本を読んだ、知り合いの編集者の方が「子ども向けに書いてみては?」と出版社を紹介してくださって始まった、ありがたい話だった。 小笠原との関わりは30年以上

      • 心の島 小笠原―28 なんのために生きるのか・生きてきたのか

        小笠原に(短期間とはいえ)移住したのは、文章を書くためだった。 小笠原をテーマにしているのに、ときおり、実感を伴わない、「〜であろう」と、 推測を交えて書かざるを得ない部分があった。 それを、自信を持って「〜だ。」と句読点を打って書き終わるには、やはり自分も小笠原の1年の流れを体験するべきだろう、いや、しなければいけないと思い、かなりの見切り発車で島へ行った。 しかし、本当に効率の悪い人生を送っていると、つくづく思う。 小笠原との関わりは30年以上になる。 取材で、個人の旅

        • 心の島 小笠原‐27 熱い戦いと一体感

          父島にある大神山神社の例大祭は、島でいちばん盛り上がる祭りかもしれない。奉納相撲大会があるからだ。2度見たことがある。1度は観光客として。2度めは住民として。2回目の感想は1回目とは全く違う、胸熱なものだった 小笠原との関わりは30年以上になる。 取材で、個人の旅で、もう何十回行ったかわからない。コロナ禍の3年を除いて行かなかった年はないし、一時期は住んでもいた。その間に見たり、感じたりしたことを1つずつまとめていってもいいかなと思い、書き始めた。本当の雑記だが、興味あった

        逝ってしまったあなたへ

          心の島 小笠原−26 商店のふしぎ

          上の写真は2009年の母島。右が農協売店、左が漁協売店。農協側の道の奥に、前田商店の入り口がある。今、左側の漁協売店は10メートルほど北に移動している。この風景はもうない。 私が暮らしていたのは母島で、当時は人口430人前後。 何回か書いているように買い物ができる商店は農協と、漁業と、前田商店という個人商店の3軒。これは2023年の今も変わらない。移住した直後は、買い物をしてびっくりすることがいっぱいあった。 小笠原との関わりは30年以上になる。 取材で、個人の旅で、もう何

          心の島 小笠原−26 商店のふしぎ

          心の島 小笠原−25 島にいても遠くとつながれた

          島は、物理的に海によって他の陸地と隔てられているから、突然夜中に「別の場所のあの人に会いたい」と思っても簡単には行かない。交通手段がある時間帯に、切符を買うとかいろいろ手順を踏んで出ていかなければならない。沖縄の首里に住んでいる友人は「車でぶっ飛ばしても、どこにいってもすぐに海に突き当たっちゃうんだよね」と言っていたことを思い出す。 そんな中でも、島にいながらにして外とつながることもあった。2009〜2010年のとき、Twitterはとても有益な手段だった。 小笠原との関わ

          心の島 小笠原−25 島にいても遠くとつながれた

          心の島 小笠原‐24 月の中をオオコウモリが飛ぶ

          これは小笠原に通い始めた旅人の頃に書いたあまりに情緒的な散文。ポエムほざいてんじゃねぇよという声が聞こえてきそうだけど、初めてこんな風景を見たときにはつい書いてしまう、こういう恥ずかしい文を……。でも、こういう思いを持ったのも、たしかに小笠原だったからなので。というわけで載せてみた。読み飛ばししてくださいっ! ※上の写真にはオオコウモリは写ってません……あしからず。 小笠原との関わりは30年以上になる。 取材で、個人の旅で、もう何十回行ったかわからない。コロナ禍の3年を除い

          心の島 小笠原‐24 月の中をオオコウモリが飛ぶ

          心の島 小笠原−23 私のネコ

          2009年、母島に住民票を移したとき、飼いネコを連れて行った。小笠原が世界自然遺産登録を目指していたこの時期、ネコを連れていくというのは結構、思い切ったことだった。2匹飼っていたうちの1匹は葉山に住んでいる友だちに預け、メスの1匹を連れて行った。 小笠原との関わりは30年以上になる。 取材で、個人の旅で、もう何十回行ったかわからない。コロナ禍の3年を除いて行かなかった年はないし、一時期は住んでもいた。その間に見たり、感じたりしたことを1つずつまとめていってもいいかなと思い、

          心の島 小笠原−23 私のネコ

          心の島 小笠原−22 チリ津波と    それにまつわる思い出

          東日本大震災の1年前、2010年2月27日、日本時間の15時34分にチリ中部沿岸でマグニチュード8.5の地震があった。その事自体は知らなかった。しかし、翌朝になって突然、防災無線から聞いたことがない警報が鳴り響いた。 小笠原との関わりは30年以上になる。 取材で、個人の旅で、もう何十回行ったかわからない。コロナ禍の3年を除いて行かなかった年はないし、一時期は住んでもいた。その間に見たり、感じたりしたことを1つずつまとめていってもいいかなと思い、書き始めた。本当の雑記だが、興

          心の島 小笠原−22 チリ津波と    それにまつわる思い出

          心の島 小笠原‐21 他人の祭り

          昨日と今日、今住んでいる海辺の街の神社で例大祭が行われ、つい先程も家の前を山車と神輿が通り過ぎていった。思えば、かつて白金、三田、横浜に住んでいたときも、それなりに町内会が機能していたので神輿や山車が家の前を通っていったように思う。それをいつも私は家の窓から見ていた。小笠原に住んでいたときも、秋祭りがあって、それを傍観していた。秋祭りは、どこにいても自分がその場に根ざしていない漂流者であることを感じさせる気がする。 小笠原との関わりは30年以上になる。 取材で、個人の旅で、

          心の島 小笠原‐21 他人の祭り

          がんばれ!読書感想文の書き方まとめたよ

          はじめに がんばれ! 読書感想文はこう書こう この数年は小学生〜中学生に年に数回文章指導をしています。私はライターであり、本も何冊か書いています。 子どもは素直なので、ちょっとのアドバイスでたちまち文章がいきいきしてきたりして、こちらが驚かされます。 夏休みもあと数日(もう終わってる学校もあるかもですね)、宿題で最後に残ってしまった読書感想文……という子どものために、こう書いてみたら? というアドバイスを記してみました。 1.本を読むだけはしよう これだけは、どうしよ

          がんばれ!読書感想文の書き方まとめたよ

          心の島 小笠原‐20 タコの実取り

          小笠原に行けばすぐ目に入る植物にタコノキがある。奄美や沖縄にある沖縄にあるアダンと似ていて、ミクロネシアやアフリカなどにもあるパンダナスの仲間である。このタコノキの実は、戦前から島に住んでいた人たちの間では、食用とされていた。食べるにはいろいろ技術がいる。何回か誘われて、タコの実取りに行ったのはとってもよい思い出だ。 小笠原との関わりは30年以上になる。 取材で、個人の旅で、もう何十回行ったかわからない。コロナ禍の3年を除いて行かなかった年はないし、一時期は住んでもいた。そ

          心の島 小笠原‐20 タコの実取り

          心の島 小笠原-19 ストレス解消

          どんなに好きな場所でも、暮らしていればストレスを感じるときもある。でも、都会ではいろいろなストレス解消法があるけれど、島では都会と同じ手段が取れるとも限らない。ストレスの波が来たときに、どうやってかわすかという方法を自分なりに持っていないと、ときには暮らしがとても辛くなったりする。ストレス解消法、大事。 小笠原との関わりは30年以上になる。 取材で、個人の旅で、もう何十回行ったかわからない。コロナ禍の3年を除いて行かなかった年はないし、一時期は住んでもいた。その間に見たり、

          心の島 小笠原-19 ストレス解消

          心の島 小笠原‐18 意外な島の果物

          南の島だから、フルーツがたくさん食べられるんでしょ? と聞かれたりするけど、実はそうでもない。島に住んでいたとき、どんな果物を食べてたかなぁと思い返したけど、一番よく食べていたのは中南米やフィリピンから小笠原にやってきたバナナだったりした。 小笠原との関わりは30年以上になる。 取材で、個人の旅で、もう何十回行ったかわからない。コロナ禍の3年を除いて行かなかった年はないし、一時期は住んでもいた。その間に見たり、感じたりしたことを1つずつまとめていってもいいかなと思い、書き始

          心の島 小笠原‐18 意外な島の果物

          心の島 小笠原−17 桟橋にて繰り広げられるドラマ

          島と外界をつなぐ交通手段が船しかないので、入出港日はイベント的な趣がある。 何も用がなくても時間になるとやって来る人もいたりするので、船が着くときと出るときは港(島では桟橋と総称していた)は大賑わいの様相だ。 小笠原との関わりは30年以上になる。 取材で、個人の旅で、もう何十回行ったかわからない。コロナ禍の3年を除いて行かなかった年はないし、一時期は住んでもいた。その間に見たり、感じたりしたことを1つずつまとめていってもいいかなと思い、書き始めた。本当の雑記だが、興味あった

          心の島 小笠原−17 桟橋にて繰り広げられるドラマ

          心の島 小笠原−16 去っていくあなたへ

          久しぶりに島に行くと、島から出てしまって、会えなくなっている人がいることに気がつく。人の出入りが激しい島。そんな一面もここにはある。だから、新しく来た人をどう受け入れるか、人によっては態度を決めていることもあるようだ。 小笠原との関わりは30年以上になる。 取材で、個人の旅で、もう何十回行ったかわからない。コロナ禍の3年を除いて行かなかった年はないし、一時期は住んでもいた。その間に見たり、感じたりしたことを1つずつまとめていってもいいかなと思い、書き始めた。本当の雑記だが、

          心の島 小笠原−16 去っていくあなたへ