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【左大腿骨粉砕骨折③】入院3日目〜4日目【髄内釘手術】

入院3日目〜4日目(2015年1月14日〜2015年1月15日)

【群馬から東京都立多摩総合医療センターへの移動】
やっと無事に転院が決まり、救急タクシーで群馬県から東京までの移動が決定しました。長い3日間、天井を見つめるだけの地獄のような時間を耐え忍び、これからは好転していくことを期待して、心からほっとしました。しかし、そこからがまた別の試練の始まりでした。
まず、転院先の病院への移動のため、病院のベッドから搬送用のベッド(ストレッチャー)への体の移し替えが行われるのですが、これが非常に激痛。我慢できないほどの痛みに声を上げてしまいました。そして、救急タクシーに運ばれて東京への長い旅が始まります。
車の中では体を起こすこともできず、窓の外の景色が見えないため、今どこを走っているのかも分からず、不安が募ります。車の振動が体に響き、痛みとつらさがますます増していく移動の時間は、まさに苦痛の連続でした。この状況で耐えることがどれだけ難しいか、身をもって実感しました。

救急タクシーというのはこんな感じの車です

【都立多摩総合医療センターへ到着、そして検査】
病院に到着すると、迅速に救急外来の部屋へと案内され、手術前の検査が次々と始まりました。検査はレントゲンやCTスキャン、血液検査などが含まれており、各検査ごとにベッドからストレッチャーへ、そして検査台への移し替えが行われ、これが激痛の連続でした。じっとしている分にはあまり痛まないのですが、とにかく体を動かされると痛いのです。痛みのため、この前後の記憶はあまりありません。

その後、医師からはCTスキャンの画像をもとに、髄内釘を使って骨を固定する手術が行われる説明がありました。他に選択肢はなく、これが唯一の治療法だと理解し、手術を待つことにしました。

手術前のCTスキャンの画像です

【ついに手術へ】
1月14日の深夜から1月15日の早朝にかけて手術が行われることになりました。手術までは前々回の記事の通り足を引っ張る牽引器具が付いたままでしたが、手術台へ移動した直後、助手と思われる人物が牽引器具を取り外しました。この瞬間、予想外の激痛が私を襲いました。
これまで牽引器具によって引っ張られていた骨が、筋肉の収縮によって突き刺さるような動きとなり、とんでもない痛みが発生するわけです。激痛に悶える中、医師が「あー、牽引器具は全身麻酔をかけた後に外せばいいのに、こんなに痛そうにして可哀そう・・・」とボヤいていまして、勘弁してくれと思いました。
そして痛みに悶え、朦朧とした意識のまま手術に入るのでした。

手術前まではこのような器具で足を牽引しています

【手術終了】
手術は全身麻酔で行われるため、全く意識がありません。目が覚めた時は手術は終わっており、1月15日の朝になっていました。医師からは「手術は成功しました」「ここからはもう良くなっていく一方ですよ」と言われ、また、手術が終わるまで病院で待ってくれていた妻の顔を見ることができて、すごく安心したことを覚えています。

手術後は、群馬の病院と違ってベッドマットがエアーマットだったこともあり、背中の痛みも解消し、また、少し体を起こしてもいいということになってすごく楽になりました。手術した箇所はもちろん痛いのですが、安静にしている限りは耐えられないようなものではありませんでした。

手術後のレントゲン写真です

【地獄のリハビリ開始】
12時頃、なんと病室にリハビリの先生が現れました。手術を終えてまだ時間が経っておらず、驚くことに、今からリハビリを行うので足を動かしましょうと言い出しました。私は手術後の痛みがまだ強いため、リハビリを嫌がりましたが、先生は「初日から動かさないと足が固まって回復が遅れるんです!」「リハビリは絶対にやってもらいます!」と譲らず主張しました。

足首を掴まれ足を上下させられると、過去最大の激痛と吐き気に襲われました。我慢できず、整形外科の先生に助けを求めました。「この痛みはおかしい、骨がどうにかなっているんじゃないか、検査してほしい」と懇願しましたが、髄内釘手術を受けたことから、骨に異常がある可能性は低いとの説明がありました。

結局、リハビリは中止となりました。手術後わずか数時間でのリハビリの必要性には正直疑問があります。手術翌日からのリハビリが一般的な中、私のケースは深夜の手術だったので前日扱いになったのかもしれません。

④に続く・・・


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