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わかるには大きすぎる(TOO BIG TO KNOW)

Eテレの子ども向け科学教育番組「ミミクリーズ」で番組づくりをご一緒している生物学者の福岡伸一さんによれば、世の中には、まず地図を広げてから動くマップラバー(地図好き)と、自分の前後左右を見て動くマップヘイター(地図嫌い)がいるという。地図で全体を俯瞰するマップラバーは堅実で無駄がないが、動き出すのに時間がかかり、地図がないと身動きが取れない。一方、地図がなくても勘と嗅覚で動き出すマップヘイターはいざという時もすぐに行動を起こせるが、場当たり的で試行錯誤が必要だ。一長一短、どちらがいいとも言い切れないが、確かに世界の捉え方やふるまい方、それぞれの環世界はかなり違うと言えそうである。

生命はマップヘイター

福岡さんはと言えば、世界の成り立ちを鳥瞰的に捉え、整理し、端から端まで、最初から終わりまで知り尽したいと願う典型的なマップラバーだったというが、やがて生物学の道に進むうちに、生命がマップヘイターとしてふるまっていることに気づかされたという。

生命とは何か。生物学者として私はそれを考えてきました。ある生命の全体を見ると、いかにも設計的にできているように見えます。しかし、細胞のひとつひとつに着眼してみると、細胞は体の全体像なんてまったく知りません。地図を持ち、自分は体のこの辺にいる、と役割を自覚している細胞などないのです。細胞は、前後左右上下の様子だけを知りながら、それでいて全体のひとつとしてそこにいる。
(『ちっちゃな科学 - 好奇心がおおきくなる読書&教育論』より)

私たちの身体をつくる60兆個の細胞は、それぞれ全体を把握することなく、あくまで近くの細胞同士の関係性の中でふるまいながら、全体として調和がとれた一つの生命をなしている。生命は根源的にマップヘイターの性質を持っているのである。

TOO BIG TO KNOW

一方で、人間がこれまで積み上げてきた叡智は、まさに世界の成り立ちを鳥瞰的に捉え、整理し、端から端まで、最初から終わりまで知り尽したいマップラバーたちによってもたらされてきたとも言える。世界はマップヘイターからなるが、世界を知るのはマップラバーなのである。

しかし、「正しさはどこにあるか」でも述べたように、そもそも完璧な「正しい地図」はどこにも存在しない。さらには、デビッド・ワインバーガーが著書『TOO BIG TO KNOW』で指摘しているように、今や「知識」は個人の頭の中や一冊の本の中ではなく、巨大な情報ネットワークの中にあるのだ。端から端まで、最初から終わりまでを記した地図を手に入れたいマップラバーにとって、それはまさにTOO BIG TO KNOW、把握するには大きすぎる地図なのである。

未来を多様性に託す

『TOO BIG TO KNOW』に付けられた「Rethinking Knowledge Now That the Facts Aren't the Facts, Experts Are Everywhere, and the Smartest Person in the Room Is the Room 」という長いサブタイトルが示すように、今や「知識」は、専門家によって内容が吟味された書物という形ではなく、ネットワークの中に存在し、多種多様な人が事実に触れ、多種多様に考え、行動することで常に更新され、変化し続ける。

そんなTOO BIG TO KNOWな世界で鍵を握るのは、このネットワークに参加し、考え、行動する人たちの多様性だ。地図を欲しがるマップラバーばかりでも、大きすぎる地図を目の前に身動きが取れなくなってしまうし、かといって勘と嗅覚を頼りに動き出すマップヘイターばかりでも、目まぐるしく変わる変化の兆しにいちいち翻弄されすぎてしまうかもしれない。そしてもちろん、マップラバーの中にも、できる限り地図を広げてから動こうとする人もいれば、見知った地図の範囲以外動こうとしない人もいるし、マップヘイターにも風向きの変化に敏感に反応する人もいれば、周りの様子を伺いながらゆっくり動き始める人もいる。

選挙や政治もまた、多くの人にとってTOO BIG TO KNOWな世界だろう。そこでは、強い危機感を抱いて大きな変化を期待する人、バランスを取ろうと行動する人、現状維持を選択する人、そして誤解を恐れずにいえば投票しない人も含めて、それぞれが多様な考え方に基づいて行動をとる(もしくはとらない)権利がある。(投票率の低さを嘆く声はもっともだが、例えば仮に投票を強制したり、スマホで手軽に投票できるようにするだけでは、漠然と現状を受け入れる票や、安易な主張にのった短絡的な票も逆に増えてしまうかもしれない。)

楽観的すぎると言われるかもしれないが、ますます予測困難になりつつある未来に向けて、すぐ動く人、ゆっくり動く人、なかなか動かない人、いろんな人がいるというその多様性にこそ価値があると思うのだ。


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