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結物語における羽川翼と阿良々木暦は結局なんだったのか?【結物語書籍レビュー】

人間には、まだ名前のついていない感情がたくさんあるということを気づかせてくれた、いや、思い出させてくれた?…いや、引き摺り出されて引っ張りだされたような。
西尾維新の結物語は、読んだ後にそんな気持ちなる一冊でした。
そんな一冊についての誇大な妄想と幻聴と共に感じた気持ちを、感想という形で書いていきます。

この本が僕の心を1番動かしたエピソードについて

この一冊を読み終えた時に、1番僕の心を乱して引っかかりを残したのは、みとめウルフでの阿良々木暦と羽川翼の一連のやりとりです。

そのほかの章は、ぜんか(前科?)マーメイドも、のぞみゴーレムも、つづらヒューマンも、かなり後読感のいい美しい話でした。
名前のついている感情で感想を表現できる話でした。
怪異性を身に宿す先輩警察官の面々と、日常に発生した怪異性を疑われる事件を調査する、働く阿良々木暦の物語。
働きながら、僕はどうしていくべきなのだろうという、社会人としてのごく一般的な悩みと向き合う、吸血鬼性という異常を抱えて生きる阿良々木暦二十三歳の物語。
けれども、みとめウルフだけは違いました。

みとめウルフを読み終えた後、僕は「こいつら全員何をいっているのか、てんでわからない」と思いました。
きっとみとめウルフは西尾維新にとっての忍野扇が書いた物語なんだ。
とてもじゃないけどまともじゃない。
そんな気分でした。

僕がそんな気分になってしまったみとめウルフというお話について、二十三歳の阿良々木暦と羽川翼の物語について、僕なりの解釈と感想をディープなネタバレと共に述べていきたいと思います。
ここからは、これから結物語を読みたい人は読まないことをお勧めします。
というか読んだ前提で書くので、読んでないと意味が伝わらないと思います。
まずは読みましょう。面白いから。

羽川翼はドッペルゲンガーだったのか?

みとめウルフにおいての羽川翼について僕なりの解釈を先に表明しておくと、
阿良々木家にいた羽川翼は怪異だった。
です。

阿良々木暦は、阿良々木家に現れた羽川翼について、みとめさんには「ドッペルゲンガー」「影武者」のようなことを言っていましたが、さすがにこれは怪異であることを誤魔化すためのこじつけだと思っています。
ただ僕は、西尾維新は文中に真っ赤な嘘は書かない作家であると(勝手に)信頼していますので、それを考慮すると、

・羽川翼のコピーキャットという怪異を「ドッペルゲンガー」と称しても、まあ嘘ではないだろう。

・阿良々木家に来た羽川翼が空っぽでコピーキャットだったと阿良々木暦が断言した。

・阿良々木暦が知る羽川翼でもなければ、阿良々木暦の知らない羽川翼でもなかった。という一文があった。

となれば、阿良々木家に現れた羽川翼は怪しくて異なる羽川翼だとしか僕には考えられませんでした。

さらにいうと、この結物語は全編を通して「タイトルに名を使われたキャラクターがメインの怪異としての話ではない」という一冊であると認識しており、だからみとめウルフにおいても羽川翼が実は怪異ポジションにあたるお話なのであろうということも言えるのではないかな?と。

コピーキャット羽川は何をしに来たのか?

阿良々木暦は、みとめさんとの会話で、阿良々木暦が捨てられずにいたもの(髪の毛と下着)を処分するために来たと言っていました。
これも、嘘ではないでしょう。
ただ、コピーキャット羽川は阿良々木暦に会いに来ることが目的だとも言いました。
おそらく、これも嘘ではないでしょう。
西尾維新は文中に真っ赤な嘘は書かない作家であると思っていますから。
(大事なことは何度も言っておかないとね)

ではどちらが本当なのか?どちらも本当なのか?

ところでみとめウルフでは、シュレーディンガーの猫の話が混ぜ込んであります。
みとめさんの監視下にいるはずの羽川翼が阿良々木家にもいる。
そんな状況をシュレーディンガーの猫の例を使って羽川翼は存在するのか?みたいな煙に巻いたようなことを書いています。
実はこれ、阿良々木暦と羽川翼の内面、本心のことをシュレーディンガーの猫だと表現しているのではないかと思っています。
お互いが告げた「言った瞬間に後悔する奴」をそれぞれ観測することが、実は髪の毛と下着を処分するのと同じくらい大事な、「羽川翼の過去を消す」という目的の一環だったように思えます。
だって羽川翼の過去において一番の心残りはおそらく阿良々木暦であるはずですし、
だって羽川翼は、阿良々木暦に一度も本当の気持ちを告げられたことがなかったはずですから。
阿良々木暦自身が、目を逸らし続けていたようなものだと言っているとおりの、
かつて羽川翼が観測できなかった阿良々木暦の本当の気持ちを、その後悔を、観測できたことにより確定した羽川翼にとってのシュレーディンガーの猫が、過去の心残りが消化されることが、羽川翼が日本に戻ってきた目的の内に含まれていたのかも。と。

阿良々木暦が羽川翼との会話て気づいた③とは髪の毛と下着の処分だけのことを言っているのではなく、そういった羽川翼の心残りを含んでいるのであり、そのための怪異が阿良々木家に現れた空っぽのコピーキャット羽川翼だったのでしょう。
だから戻るほうが難しい。羽川翼の本体に戻ることはなく、消去するべき羽川翼そのものだったのだから。

羽川翼と阿良々木暦は大人になって変わってしまったのか?

そしてここからが本題。
僕が心を乱した最大の原因となった問題の一文。
みとめウルフの締めとなる阿良々木暦の一言。

今の僕が今の羽川にとってどうでもいい男で、今の僕は最高に幸せだ。

これ。
普通に素直に実直に受け取ったとしたら、
「阿良々木暦も羽川翼も大人になって変わってしまった」
「お互いがお互いを卒業した」
みたいな、濃度1000倍の激苦コーヒーをマグカップ一杯、一ヶ月常温放置してから一気飲みしたみたいな、にがくて酸っぱくて、オコリザルもコノヨザルに進化しちゃうくらいの、僕が第二の八九寺真宵(いい年したおっさんカタツムリですが)になってしまいそうな結末ですがなんなんですかこれは。

だがしかし。

西尾維新という作家は、嘘をつかずに読者を誤解させる文を書く天才なので、きっとこれも、誤解させるための、敢えての酷い言い回しなのだろうと思うわけです。
そうに違いない。
だって、直前に「言った瞬間に後悔する奴」が現在進行形の後悔であると独白した阿良々木暦ですよ?
そんな相手にとってどうでもいい男だということが「最高に幸せ」はいくらなんでもおかしいでしょう。
だから、この一文はこれまでの文脈から解釈できるそのままの意味なはずがないんです。
あの西尾維新がここにきて、こんな大事なエピソードで、そのままの意味の物悲しいだけのつまらない言葉で終わらせるはずがない。

ここから僕はこの一文の意味について悩みながら1ヶ月以上悶々と過ごすことになりました。
1冊の本に1ヶ月以上心を囚われるとは思いもよりませんでした。
いろいろな方が過去に書いた解釈ブログを読んだり、結物語以降に発刊された作品を死物語まで読み漁ったり。
何かこの件についてヒントはないのかと。
ネットの海や思考の泥沼を行ったり来たりしていました。

その結果たどり着いた解釈。…というより妄想…についてこれから語ります。

とっかかりは、かの文で「今の」が不自然に多様されていること。
これは「過去の阿良々木暦が羽川翼にとってどうでもいい男ではなかった」ということだけを示すにはやや過剰な強調表現に感じます。
何かほかの意図がありそうだなと。

そう考えている中でふと思いついたのが、
次の章であるつづらヒューマンの「ある一文」が関係しているのでは?ということです。

つづらヒューマンにて、阿良々木暦は以下のように発言します。

「昔の自分に後ろめたいみたいな気分になってる理由は、成功したからでも勝ち組になったからでもありません。全開で生きてないからなんです。最善を尽くしているけれど、全力を尽くしていないからなんです。成長したけれど、成長しようとしていないから」

阿良々木暦がこの発言に至ったのは、これを発言するまでの、なんだかもじもじして大人ぶっていた阿良々木暦を終えようと思ったのは、おそらく羽川翼が空っぽのコピーキャットを阿良々木暦にあてがって日本から去った、みとめウルフでの出来事がきっかけなんだと考えています。

今の羽川翼にとって今の阿良々木暦がどうでもいい男なのは、最善を尽くすだけで、全力を尽くしていない男だから。

全力を尽くして、死力を尽くして、死に尽くすほど全てに手を伸ばし尽くして生きていた阿良々木くんのことが、羽川翼は大好きだった。
最善を尽くすだけの阿良々木くんなんて、私は知らない。
私が会いたい阿良々木くんは今はいないみたい。
だから用事を済ませるにはコピーキャットで十分。
思い出話に花を咲かせるくらいで今の阿良々木くんは満足なんでしょ?
あたしは高校生時代の阿良々木くんのように今もこれからも全力で生きるね。
それで、阿良々木くんはこれからもそのまま最善を尽くして生きていくの?

最初は全く意味がわからなかったみとめウルフでしたが、
何度か読み返すうちに、羽川翼のそんな声が聞こえてくるような気持ちになりました。
(混乱が深まって幻聴が聴こえるようになっただけかもしれません)

阿良々木暦はその羽川翼の気持ちに気付いたらからこそ、心の底から嬉しくなったのでしょう。
羽川翼が知っている、全力も死力も尽くす阿良々木暦なら、そもそも戦場ヶ原ひたぎと喧嘩別れ(原因が遠距離であること)をするようなことにはならなかったはずなのに。
そうなってしまう原因を、阿良々木暦は知っているはずなのに。
そんな最善を尽くすだけの大人ぶった男ならコピーキャットで十分だと、今の阿良々木暦を蔑ろにされちゃった事が嬉しかったのでしょう。
(とんだドMですね)

そう考えるに至った理由は、幻聴が聞こえるようになった理由は、
羽川翼がお忍びで会いにきた理由①②に対する阿良々木暦のそっけない回答に対して、コピーキャットが嬉しそうにしていたという描写からです。
疲れたから辞めちゃおうかと思った。
阿良々木くんをパートナーとしてスカウトしにきた。
そんな普通の女性ならあり得そうな理由に対して、どちらも丁重に(というかむしろかなりそっけなく)お断りした阿良々木暦。
外野から見たら阿良々木暦は羽川翼を嫌いになってしまったのか?と思うようなそんな応えに、
羽川翼は「その気持ちわかるよとハグしてくれればそれで全部解決なのに」と言いながらも、嬉しそうにしたのは何故なのか?

きっと、羽川翼というものを阿良々木暦がきちんと理解してくれている事が、嬉しかったのでしょう。
今の生き方を辞めてしまいたいと思ったり、
阿良々木暦にパートナーになって欲しいと思ったりしながら、
実際にそれを実現するために動くような、そんな最善を尽くすだけの羽川翼になるようなことを、阿良々木暦なら叱って見放してくれるだろうと期待していた。
かつて「嫌なことをしたらちゃんと嫌ってやる」と言い放った全力を尽くす阿良々木暦に期待した応えがちゃんと返ってきたから、羽川翼は全力を尽くして生きていくことを、本当はそうしたいのだということを、全く疑わず信じてくれている事がわかったから、嬉しそうにしていたのではないかと。
そう思ったわけです。

そして阿良々木暦は阿良々木暦の方で、そのやりとりを通して本当は自分がどうしたいのかを知っている羽川翼がコピーキャットを送り込んだ意味に気づいた。
本当はわかっていた事と向き合うことができた。
だから心の底から嬉しくなった。

お互いに、表面上の慰めや交わりよりも、お互いが全力で生き尽くしているということのほうが嬉しいと想いあう。
2人はそんな関係なのだと感じます。
恋人とも友達とも仲間とも違う、そんな名前のない二人だけの関係なのだと感じました。


だからこそ阿良々木暦は、羽川翼が自分に会いに来ることが目的だったとしたらむしろ怒りを感じ、目的のついでならまあまあ素直に喜べたと。
そう言ったのではないでしょうか?

阿良々木暦が、昔の自分に後ろめたいみたいになっているのは、
羽川翼に対して「自分なんて」みたいな気分になっているのは、
自分が全力を尽くしていないから。
そして羽川翼が今も全力を尽くして生きていることが伝わったから。
これを機にまた全力を尽くして生きようと思えたから。

だから

今の僕が今の羽川にとってどうでもいい男で、今の僕は最高に幸せだ。

なのです。
これが僕の、結物語における二人の関係性への解釈です。

自分の今の全力を尽くすことに集中して、阿良々木暦に会わずに去ることで、阿良々木暦とのコミニュケーションとする。
わざわざ会わずとも、むしろ会わないことで伝えられることもある。
阿良々木くんと会うのは、阿良々木くんと会いたいと思う気持ちと、阿良々木くんを頼りたいと思う気持ちが、強烈で熱烈な気持ちが怪異となった空っぽのコピーキャットだけでいい。
羽川翼はそういう女性のような気がします。

もしかすると、そんなお互いの「全力を尽くして生きたい」という本心も、シュレーディンガーの猫だったのかもしれません。
お互いがそれを観測したことによりそう確定した。
お互いがそう観測してほしくてこうなった。
そういうことなのかもしれません。

今も昔も全力を尽くして生きるお互いが大好きな変わらない二人

ところで、僕は阿良々木家に現れた羽川翼コピーキャットが怪異であろうと解釈していますが、怪異を作るなんて簡単に言っていましたが、それは本当は簡単な事ではないはずです。
物語シリーズにおいて怪異とは、
死ぬより辛い経験から生まれた行き場のない気持ちだったり、
人の身に収まらないほどの強い気持ち、強い呪いなどが怪異となってきました。

と、いうことは。

「ちょっと髪の毛と下着を処分したいから」みたいな理由で作れるものではないですし、そんなことができる化け物は真っ先に専門家全員から狙われるでしょう。

だとすると、羽川翼コピーキャットが怪異であるという仮定は、同時にやはり羽川翼の方も阿良々木暦には今でも並々ならぬ執着があるという仮定でもあります。
恋や愛なんて、語り尽くされた言葉では表せない、呪いに近い、怪しくて異なる化物を生み出せるくらいの強烈で熱烈な気持ちがあるだろうと想像できます。
もしかしたら、阿良々木暦はそれにも気づいていて、そこも嬉しがりポイントだったのかもしれませんね。

簡単に纏めると、
みとめウルフでの阿良々木暦と羽川翼のやりとりは、大人になって変わってしまった2人の決別という雰囲気でありながら、そう誤解させながら、
その実態はお互いの内面にあるシュレーディンガーの猫を観測しあうことで羽川翼という過去の抹消という目的を達成しつつ、
全力で生きるお互いを大好きな2人が、
怪異を生むほど想いあっている2人が、
会うことすらせずにそれを確認しあいながらお互いに嬉しく思う。
という、ちょっと気持ち悪いくらいに遠回しで濃厚な物語だったと。
戦場ヶ原ひたぎとの喧嘩の原因となった遠距離恋愛よりも、遥かに遠距離で遠回しな二人のちょっとした喧嘩みたいなものだったと。
こんな感じでしょうか?

終わりに

僕は普段ソフトウェアエンジニアをメシのタネとして生きているせいか、その職業病のせいか、言葉というものに若干神経質だったりします。
恋人や夫婦のように定義がしっかりした言葉だったり、友人とか友達といった定義が緩すぎて意味が広すぎる言葉についてはあまり違和感を感じないのですが、
例えば「親友」という言葉については、いまいちしっくりこないので今までの人生で使ったことがないです。
どのくらい親しければ友人ではなく親友と呼べるのか?
その人との関係性において、どうであれば友人ではなく親友と呼べるのか?
言葉というのはそもそも他人と意思疎通するための道具なので、人によって肌触りが異なるであろうその言葉を道具として使うことにかなり躊躇いがあります。

そんな僕ですから、阿良々木暦と羽川翼の関係性を示す言葉を選ぶことができていません。
阿良々木暦は羽川翼のことを「恩人」という現在の関係性についての意味を持たない言葉で表したことがありましたが、もしかしたらそれも、僕と同じように二人の現在の関係性について言葉を選ぶことができなかったから故のことだったのでしょうか。

結物語の読了からこの解釈に至るまでの一ヶ月ほど、僕はずっと2人の関係についてのことで頭がいっぱいで、2人の関係性についていくつもの言葉をあてがっては取り外していました。
そんな感じで、心を乱され、心を満たされる。そんな一冊でした。

以上、物語シリーズの言い回しに大きく影響を受けた形で、結物語の感想とさせていただきました。

物語シリーズの続編、今でも待ってます。

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