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通り魔の心境について

まずは、前の記事も含めてハート3つもありがとうございます!

更に初のフォロワーまで嬉しい限りです。

本当はパノパナの歌詞とか明るい記事を書こうとも思っていましたが。



岩渕さんも書いてますが、通り魔の心境について書いてみたいと思います。

返信で書いてもよかったですが。長い文章になってしまったのでここに書きます。

この記事書いたの3日前ですが結構時間経っている感じがするなぁ。


この記事も書こうか迷い、重い話を蒸し返す感じで悪いですが。なんか幸せを求めて不幸せになっている気がして。忘れないように書いておこうと思いました。



殺したいとおもう事は感情が受け入れられない不感症な人に対して。生きていく以上の苦しみがある。回りが皆幸せそうに見える。社会への妬み、嫉妬、苛立ち。自殺するのは自分のためではない。自分の過ちの重大さが解る。責める事だけじゃ何も始まらない。人は影響しあって生きている。自分の物なんてものはない。回りの物で全て自分は構成されている。自分なんて、どう回りの物を感じとり、何を取り入れてどう構成し、どう表現するか。
だからこそ、救われない人ができるだけいない様な社会が必要。この事件が知人だったらどう思うだろう?事前に何かしてあげられただろうか?何も出来なかったかもしれない。でも何か感じとる事はできたかもしれない。そういう心の力やゆとりを持てば、本当に大切な時に何か本当に大切な行動ができたかもしれない。
俺は、フカンショウに救われた。
何か心を感じる事汲み取る事が大切な気がする。
そのためにあらゆる感性や感情、表現を学んで生き受け入れていきたい。
理解できるために。想像できるようにするために。

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