【書籍・資料・文献】『選挙違反の歴史』(吉川弘文館歴史ライブラリー)季武嘉也

立候補者だけではない 選挙支えるスタッフという舞台裏

 2019年は、12年に一度ある統一地方選参議院選挙が重なる年だ。
さらに5月~6月にかけて、衆議院が解散するという観測も流れた。そうなれば、まさに選挙イヤー。衆院選はなかったが、それでも十分に選挙イヤーといえる。

 そんな選挙イヤーにあって、いまいち参議院選挙は盛り上がりを見せない。局地的には盛り上がっている地域があるかもしれないが、やはりどこかで冷めている。そこには、争点なき選挙というのが大きいように思える。政権与党はもとより、野党も相違点を見出せず、もがいている感じは否めない。

 今般、国政選挙の投票率は50パーセント前後で推移している。つまり、有権者のうち2人に1人は権利を放棄しているわけだが、その内実は「誰に投票していいのかわからない」「誰に投票しても変わらない」という意見に集約される。

 前者は、単純に言えば不勉強ということになるのだが、それよりも「対して詳しくもないのに、政治を語るな」という風潮も大きく影響しているだろう。

「政治に無関心で過ごすことはできても、政治と無関係で生きることはできない」のだから、人それぞれが「よい」と思う政治を選択し、その実行代理人を選ぶのが選挙だ。そこに、詳しいも詳しくないも関係ない。そもそも誰もが政治に精通している必要がない。そのために、自分の代理人を選ぶ選挙が存在するのだ。

 私たちの暮らしと密接に関連する政治を動かせるのは政治家ばかりではないが、議会という場で予算や法律を審議する権限は政治家にしか与えられていない。つまり、政治家はあくまでも私たち有権者の代理人ではあるが、私たちでは手にできない強大な権限を持つ。その強大な権限を得るために、人は血眼になる。政治が権力闘争といわれるゆえんと言ってもいいだろう。

 政治には資金が必要になる。特に選挙においては、実弾とも形容されるほど金の力は強い。なにより選挙戦は1人では戦えない。手伝ってもらうても、何かを準備するにしても、金がかかるのだ。

 黎明期の明治だったら、かなり困難だったと思うが、たった一人で選挙戦を戦うこともできただろう。しかし、現代の選挙は組織戦が主流だ。選挙カーの運転手、マイクを握りながら候補者の名前を連呼するウグイス、選挙事務所に常駐して電話対応する事務スタッフ選挙ポスターを掲示版に貼ってまわるボランティア街頭演説で場所取りをして舞台の設営をするスタッフetc

 国政選挙なら一陣営にボランティアも含めて100人単位の選挙スタッフを抱える。当然ながら、立候補者がその100人全員を把握しているわけではない。多くの立候補者は信頼できるスタッフにいっさいの事務を任せている。

 逆に言うなら、この一切を任せられる有能な事務スタッフを探し出せるか? そして、自陣営に引き込めるかが選挙の鍵であり、スタートラインに立つことでもある。そして選挙戦を完走する秘訣でもある。まして、出馬するからには勝つことが大前提なのだから、立候補者は有能なスタッフを欲する。だから有能な事務スタッフは、常に引っ張りだこ。奪い合いだ。

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