【書籍・資料・文献】『昭和を騒がせた漢字たち』(吉川弘文館歴史文化ライブラリー)円満字二郎

ドキュメント新元号「令和」発表会見

 その日、私はいつもより早めに家を出た。目指す先は、千代田区永田町。瀟洒なたたずまいの総理官邸は、その雰囲気に反して周辺は物々しく警察官に囲まれている。

 総理官邸に足を運ぶ際、通常なら有楽町駅から徒歩でアクセスする。駅から官邸までは、おおよそ15分。4月1日は、よく晴れた暖かい日で、春が近づきつつあることを感じさせた。

 駅から駅前のオフィス街を抜け、日比谷公園を突っ切ると官庁街が眼前に迫ってくる。頻度は落ちたものの、過去、繰り返し霞が関を訪れた時期もあった。現在でも断続的に取材で足を運ぶ身なので、特に目新しいことを感じなければ、多少の変化にも鈍感になっていた。

 しかし、この日だけは違った。上空にヘリが飛び交い、道路のあちこちで警察官が立哨している。警察官の数は、官邸に近づけば近づくほど目に見えて増えていった。

 そう、この日は平成に替わる新元号が発表される4月1日だった。新元号の発表で、官邸の周辺を厳重警戒する理由はよくわからないが、その発表は官邸で実施されるから、とりあえず官邸の周辺には警察官がたくさんいた。

 そして、前例に則れば、元号の発表者は内閣官房長官。つまり、菅義偉官房長官ということになる。急いでいた私が出席を許されたのは、官房長官による新元号の発表会見ではなく、その後に予定されていた内閣総理大臣による会見だった。つまり、安倍晋三首相による談話発表の記者会見だ。

 新聞やテレビの報道陣が、新元号を事前から知っていたとは思えない。しかし、新元号の二文字部分だけを空白にしたままの予定稿は作成していたことは容易に想像できる。だから、発表と同タイミングで「令和」決定を速報として流すことも難しいことではない。

 官房長官の談話、その後の安倍晋三首相による談話は刺身のツマみたいなものだ。万葉集から採用した経緯や込めた思いなども、後からゆっくり掲載で十分に足りる。なにより、発表は11時30分。ギリギリ夕刊にも間に合うし、朝刊なら楽勝だ。

 総理官邸の記者クラブは、内閣記者会と呼ばれる。令和をいち早く発表する官房長官会見は、内閣記者会の記者だけが参加を許された。本来ならば、私はその場にいることさえ認められない。

 その後におこなわれる安倍晋三首相による会見には出席できるが、そんな談話はどうでもいい。というか、それこそNHKかネットの生放送で十分に事足りる。

 官邸に急いでいたのは、もしかしたら入館を許されて、菅義偉官房長官会見にも潜り込めるかも?という淡い期待からだった。霞が関・永田町上空をうるさく舞う報道ヘリを気にしながら、官邸につづく坂道を上る。正面入り口はいつにも増して、多くの警察官が固めている。

 官邸の入り口で「なんの用だ?」と言わんばかりに警察官が、私の行く手を遮る。「総理官邸の記者会見に申し込んだフリーランスの小川です」と伝えると、確認するために一人の警察官が奥の警察官のもとへと走った。

 戻ってきた警察官は、「まだ入館時間になっていないから、ここで待機せよ」とのお達しを出した。私が待たされている横を、内閣記者会の記者証を首からブラ下げた記者たちが通っていく。私が並び始めてから3~4分ぐらいすると、ほかにもフリーランスと思しき記者が警察官と話を交わし、そして私の後ろに並んだ。まだ、私たちは官邸に入れない。

 上空のヘリをぼんやりと眺めていると、いつの間にか私の後ろに並んでいる記者が3~4人になっていた。そして、そこにジャーナリストの江川紹子さんがやって来る。軽く会釈を交わした後、江川さんも列に並んだ。

 フリーランスは、菅官房長官会見が終わるまで官邸への入室を許されない。逆に言えば、入館を許されたということは、官房長官会見が終わり、すでに新元号が発表されたことを意味する。テレビの生中継を見られないから、現場にいる私は一般の国民(テレビ視聴者)よりも新元号を遅く知ることになるのだが、もはや新元号を知るタイミングはどうでもよかった。

 5、6分早く新元号を知ったところで、それに何の意味があるのか? カメラマンとしては、新元号発表の写真を撮影すること、記録することの方が数段も重要なのだ。

奇跡の潜入

続きをみるには

残り 4,556字

¥ 100

期間限定 PayPay支払いすると抽選でお得に!

サポートしていただいた浄財は、記事の充実のために活用させていただきます。よろしくお願いいたします