見出し画像

政治空腹 緊急事態宣言下の彷徨

3人の秘書

 中央官庁の代名詞、霞が関。政治の中枢で国会議事堂が中心に立つ永田町。どちらも我が国を動かす中枢といえるが、ふたつの街はそれほど離れていない。

 距離にしたら1キロメートルに収まる。そんな小さな範囲を別々の街として区分する必要は本来ならないのだが、霞が関と永田町は明らかに異なる色を帯びている。

 そもそも永田町の主たる住民である衆参国会議員は大臣・副大臣・大臣政務官、いわゆる政務三役に就かなければ、ほとんど霞が関に用事はない。

 正確に記せば、用事はあっても足を運ばないというべきか。なぜなら、用事があっても、国会議員がわざわざ出向かない。役人の方から永田町まで出向いてくれることが多いからだ。

 永田町という符牒は、国会議事堂および国会に跋扈する国会議員を意味するが、最近では自民党政党本部、かつての民主党本部があったことから、これらの政党職員も含めたような意味づかいになっている。

 政党職員というのは一般的に馴染みのない人たちだが、これらは公費で雇われている議員の公設秘書とは違うし、政治家が自腹で雇っている私設秘書でもない。あくまで政党が雇っている職員をいう。

 一方、政党職員ではなく、国会議員が公費で雇うことができる秘書は3人。そのうち、政策担当秘書と呼ばれる秘書は国家資格を必要とする特別な身分。特別な身分ななので、特別公務員という職として扱われる。政策担当秘書は簡単にはなれない。

 試験をパスするか、公設秘書として10年以上のキャリアを必要とする。そして優秀な政策担当秘書は、なまじ国会議員よりも永田町事情に詳しく、政策にも通じている。

 そうしたこともあり、永田町で優秀な政策担当秘書は奪い合いになる。新人議員でも優秀な政策担当秘書がつき、きちんと言うことを守ればわりとそつなく仕事をこなせる。

 2009年、政権交代が起きて自民党が下野した。自民党議員の政策担当秘書は当然失職することになるが、新たに当選した民主党議員の多くは自民党議員に仕えていた政策担当秘書をヘッドハンティングした。それほど政策担当秘書は引く手あまたの職業でもある。

 2009年の衆議院選挙では、勢いで当選してしまったかのような新人議員も多く、それらの議員は残念ながら永田町・霞が関のことをまったく知らなかった。本来なら議員秘書や役人勤めをして永田町のことを学んでいくのだが、そうした経験がないゆえに、政策担当秘書をゼロから探すツテもなかった。

 そのため、経験豊富な自民党議員に仕えていた政策担当秘書をそのまま雇用するケースも見られた。昨日まで敵方に仕えていた腹心を雇用する。なんとも言えない話だが、わりとそういうケースは多いらしく、秘書側はあまり気にしないらしい。

 政治家は選挙に落選すれば「ただの人」となってしまうが、政治家を影で支える政策担当秘書は、政党を問わず雇用されることが多い。なかには先生に忠誠を誓い、ともに雌伏する政策担当秘書もいる。

 しかし、政策担当秘書だって生活がかかっている。路頭に迷うわけにはいかない。失業してしまった旧主に情もあるだろうが、その情を優先していては糊口を凌げない。糧を稼ぐ手段として、かつてのライバルにお世話になることだってある。

 現代は忠誠を第一とする戦国時代ではないのだ。言うならば、政策担当秘書は特別公務員ゆえに国会議員を支えながらも実の所国家に仕えている、と言えるのかもしれない。

 国会議員には、そのほか公設第一秘書、公設第二秘書までを公費によって雇用できる。本来なら、公設第一と公設第二に優劣はないが、一般的に公設第一の方が格上という意識が強い。

 政策担当&公設第一&公設第二の3人は公費で雇用できるが、そのうち政策担当秘書は必ず雇用しなければならない。逆に公設第一・公設第二は必ず雇用する必要はない。公費で雇えるのだから、公設秘書がいなくてもそれで人件費が浮くわけではない。

 それでも、雇うからには簡単にはクビにできない。だから、きちんとした人物を採用しようと慎重になる。そのため、秘書が辞めた後に次の秘書が見当たらずに数か月間そのままという議員事務所もある。

 政策担当秘書は前述したように国家資格を有していないと務めることはできない。公設第一と公設第二は、その必要はない。

 議員と夫婦関係にある場合は公設秘書にはなれないが、祖父母・両親・子・孫・兄弟は公設秘書になれる。祖父母や親を公設秘書にする議員はこれまでに聞いたことはないが、息子・娘を公設秘書にするケーズは珍しくない。

 公設秘書は霞が関との調整、ほかの国会議員との会合で政界・官界とのパイプを強くできる立場にある。また、議員の後援会や政党の催しなどにも顔を出すことが容易なので、政治家にとって息子や娘を公設秘書へつけてスムーズに世襲を図ろうとする。公設秘書の給与は税金を原資とするから、実質的に国のお金で世襲制を補完していることになる。

政権交代で激変した永田町の飲食事情

 公設秘書人事からは、そんな思惑も透けて見える。それも長らく自民党政権が続いたことで暗黙の了解となっていたが、2009年の政権交代はそれらを大きく揺らがせることになった。そして、政権交代は永田町の飲食事情にも隠然たる影響を及ぼした。

 1955年に自民党が発足して以降、磐石な政権基盤を築いてきた自民党はいわば我が国の政治そのものだったと言っていい。二大政党制が叫ばれ、小選挙区制が導入されると「自民党か、非自民党か」といったように選挙は二者択一っぽさを帯びるようになった。本来、政治は白か黒かの二者択一で決められないことが多いから、選挙も二者択一ではないはずだが、二者択一になれば自民党だって権力の座から転落しやすくなる。

 しかし、小選挙区制が導入されて、二者択一っぽい選挙制度になっても自民党の政権基盤は揺るがなかった。と、油断していた2009年の衆院選で自民党は惨敗。自民党の下野は1993年の衆議院選挙でも経験済みだが、本格的な二大政党制が到来することを予感させる結果だった。

 自民党本部のすぐ横には、伊豆栄というウナギ割烹料理の老舗がある。同店はその立地からも窺えるように、自民党本部へ陳情・打ち合わせといった具合に足を運ぶ地方議員や地方の関係諸団体の人たちが帰りに立ち寄る店として知られていた。

 政権が民主党へと移ると、自民党の訴求力は急速に失われることになり、自民党本部へと足を運ぶ関係諸団体の人たちは激減した。当然ながら、伊豆栄の客足も減少する。伊豆栄は自民党の浮沈とともに歩んできた飲食店といえる。

 民主党も政党本部を永田町に設けた。自民党と本部とも近いのだが、伊豆栄のような指呼の間を築ける飲食店はなかった。歴史の長さも起因しているだろうが、“食べる”という人間の営為を自民党は理解し、きちんと抑えていたんだと思う。

 伊豆栄のような高級店とは無縁だが、地下鉄の永田町駅を出ると目の前にあるローソンは、私もたびたび利用した。同店は、近隣にある名門進学校の都立日比谷高校が近くにあるので、下校時間の夕方は高校生の姿も目立つ。また、国立国会図書館も近いので、そこからの帰りに立ち寄る人もいるだろう。

 しかし、その立地から考えて、このローソンは自民党関係者たちの御用達と言っていいかもしれない。さすがに国会議員がローソンで弁当やサンドイッチ、おにぎりを買い込むといった姿を見ることはないにしても、秘書や自民党職員、後援会の人たちが会合などで供されるお茶や茶菓子を買い込むといったことはあっただろう。

 また、自民党本部にもっとも近いコンビニという立地から、同店は早い段階からテロへの警戒もぬかりなかった。最近では珍しくないが、コンビニの店舗にはゴミ箱が店の前に設置されているが、同店ではそれが店の中にあった。当初は、「店の中にゴミ箱があるのは不衛生なのでは?」とも感じたが、しだいに気にならなくなった。

 ローソンと並び、私のような貧者でも気軽に利用できたのが青山通りを挟んだ向い側に立地していたマクドナルド赤坂見附店だった。マクドナルドはコーヒー一杯100円から注文が可能だから、永田町に2件以上の用事があり、その間に時間を潰す必要があるときはよく利用させてもらった。店内はwifiなども整備されていたから、わりと安上がりの休憩スポットだったが、惜しまれて閉店している。

 半蔵門駅の方面まで足を伸ばせば、もう少し庶民的な店も増えるのだけど、半蔵門駅まで行くと片道10分、往復で約20分。雨の日などは、ちょっと億劫に感じる。なくなってみて、マクドナルド赤坂見附店のありがたさを痛感するようになった。

 ちなみに、マクドナルド赤坂見附店が閉店してから、近隣にはセブンイレブンのイートイン併設店が開店し、そこで代替するようになった。しかし、新型コロナウイルスの影響でイートインが使用不可になっている。

議員会館内のタリーズコーヒー

 国会議事堂を中心軸にする永田町には、多くの政治関係者・経済団体の関係者が出入りしている。政治は無関心を装っても、無関係で生きることはできない。地球上に生きる限り、なんらかの形で私たちは政治に影響を受けざるを得ない。

 だから、多くの人が出入りするわけだが、永田町の周辺には驚くほど飲食店がない。コンビニも少なく、首相官邸の裏側にあるザ・キャピトルホテル 東急のなかにセブンイレブンがあるものの、路面店ではないので知らなければ気づきにくい。

 3〜4時間の用事ならともかく、用事で永田町に1日ずっと滞在するときは飢えとの戦いになることを覚悟しなければならない。それでは、国会議員や秘書たちは、どこで食事をしているのか? 答えは、国会議事堂内にある食堂もしくは議員会館内にある食堂だ。

 かつて、国会議事堂内には吉野家があり、議員の後援会が国会議事堂見物に来ると立ち寄る定番スポットになっていた。

 国会議事堂内に長居をすることがないので、国会議事堂内の食堂を使ったことはないのだが、他方で議員会館内の食堂やカフェ、コンビニはちょくちょく利用していた。

 衆議院には第一と第二の2つ、参議院議員会館の合計3つがあり、建物内には飲食店や食堂、タリリーズコーヒーといった全国チェーンのカフェをはじめ喫茶店などもいくつかある。

 もちろんセブンイレブンといったコンビニもある。ここで飲食ができるし、食料を調達することもできる。

 とはいえ、会館内はパスがなければ入館できないので、腹が減ったからといって立ち寄ることはできない。官邸前や国会議事堂の周辺などでは定期的にデモが実施されているが、これらを取材していて空腹になっても、国会議員会館内の飲食店・コンビニを使うことはできないのだ。

 2020年の参議院議員選挙では新しい政党として勢いを増していたみんなの党が東京選挙区に松田公太候補を擁立した。松田候補はタリーズジャパンの創業者でもあり、企業家として知られた存在だった。

 当時の東京選挙区は定数が5。自民党・民主党・公明党・共産党が1ずつ議席を取り、残りの1を自民党もしくは民主党の2人目の候補が取るという構図が長らく続いていた。

 そこに割って入ったのが、みんなの党から出馬した松田候補だった。普通に考えれば、定数5の選挙区なら自民党・民主党・公明党・共産党・みんなの党と5つの党がひとつずつ議席を取るように思うだろう。

 しかし、選挙は戦いである。「譲り合いありがとう」などとはならない。自民党も民主党も、従来通り2人の候補者を擁立し、政権交代の勢いをそのまま維持した民主党が2人を当選させた。そして、自民党は1人しか当選させられず、もう一人の候補者は涙を飲んだ。

 問題は、みんなの党という新たな勢力の登場によって、前述の5党から弾き飛ばされた候補者が出たことだ。それが、共産党の小池晃候補だった。

 松田候補の出馬により割りを食う形になった小池候補は、2011年の都知事選に出馬し、そして2013年の参議院選挙で永田町へと戻ってくる。しかし、このときの小池候補は東京選挙区から出馬するのではなく、全国比例での出馬だった。東京選挙区からは、新人の吉良よし子候補が出馬。3位当選を果たしている。

 2013年の参議院選挙でも、みんなの党は東京選挙区に桐島ローランド候補を擁立したが、8位に終わった。松田・桐島という候補者の違いもあっただろうが、松田候補の得票は約65万。桐島候補の得票は約32万。2010年と2013年とでは明らかにみんなの党の勢いが違っていた。

 選挙において、勢いは無視できない。小池候補が東京選挙区で涙を飲んだ際、小池候補は議員会館内にタリーズコーヒーが店舗を構えていることを俎上に上げて「もう議員会館内のタリーズコーヒーは使わない」とジョークを飛ばした。

画像1

初当選を果たし国会に初登庁する松田公太参議院議員 

 3年後、小池候補は当選を果たして永田町へと戻ってきたが、果たして議員会館内のタリーズコーヒーを使っているのかどうかは気になるところだ。

永田町・霞が関は夜に飢える

 国会議員が跋扈する永田町とは異なり、役人の代名詞となっている霞が関は中央官庁との取引がある企業、そして都道府県市町村の首長・職員などが足を運ぶ。

 中央官庁は外務省・総務省・国土交通省・農林水産省などたくさんあるが、そのうち農林水産省は国内食糧事情を国民へ周知するという使命感から、一部の食堂を一般利用できるよう開放されている。

 また、金融庁は庁舎の下階を民間事業者に貸し出して賃料を得ているので、その民間事業者の入居しているフロアは一般人でも利用が可能になっている。

 そうした意味では、霞が関の方が部外者にとって近しい飲食事情といえるが、わざわざ苦労してまで中央官庁のメシを食べたいか?と聞かれれば、答えは「NO」だろう。

 民主党が政権交代を果たした頃、フリーランスでも大臣会見に参加できる道筋が生まれ、そのために霞が関へと通う日々が続いた。とはいえ、政治ネタを掲載してくれる媒体が少ない。それゆえに政治ど直球のネタではなく、「中央官庁のメシ事情」といった具合の柔らかいのか硬いのかわからないようなネタで記事を書く。そんな機会が何回かあった。

 そのため、いくつかの省庁を周り、メシを食ったりもした。そういった意味で永田町・霞が関の食事情にはそれなりに通じているが、昨今のコロナ禍は永田町・霞が関にも影響を及ぼす。

 永田町・霞が関の関係者は、夜の会食で赤坂方面へ繰り出すことが多い。先の総務省・NTTの接待問題で、NTTは赤坂に接待用の料理店を所有していた。

 永田町は赤坂方面、そして溜池山王・虎ノ門方面へと繰り出すのが霞が関は日比谷・有楽町・新橋方面へ繰り出すのが一般的。霞が関の方が価格は安めな街の印象を受けるが、それでも有楽町方面には高低両方の店があるので一概には言えない。

 コロナによって、霞が関・永田町の飲食店は酒類の販売を禁止。営業時間も制限がかけられ、夕食難民が大量発生するようになった。従来から、霞が関・永田町の飲食店は少ない。だから、庁舎内に一定数の飲食店やコンビニなどがあり、手堅く商売ができていた。

 官庁は土日祝日は閉庁するが、それはあくまでも建物としての役所が閉まっているに過ぎない。多くの官僚たちは、土日も登庁しているし、夜間も事務作業に追われている。決して口にはしないが、実は各庁舎の地下階などには仮眠室もある。国会対応など、徹夜で大臣の答弁書などを書いている担当部署の職員などは、昼間に仮眠室で寝ていることもある。

 夜中、机にかじりついて仕事をしていれば腹も減る。気分転換にメシを食べたくても、霞が関の周辺には飲食店はない。コンビニも遠い。まさか、UberEatsで配達を頼むわけにもいかない。

画像2

緊急事態宣言中、国会議事堂はライトアップ!?

 仕方ないから、管理職クラスはタクシーを使って夜食を食べに出る。そこまでの職位でない場合は、あらかじめコンビニなどで買い込んでおくという備えをするなどの防衛策を講じている。

コロナが加速させた永田町・霞が関の晩飯難民

 コロナの影響で飲食店の営業時間が20時までに制限されたことで、霞が関・永田町の飲食事情はさらに深刻化した。もともと霞が関・永田町の周辺には飲食店・コンビニは少ない。永田町はまだマシで、霞が関の飲食店事情はかなり劣悪だと言っていいかもしれない。

 頼みの綱は有楽町駅の周辺だが、それらもコロナの影響で夜間は店を閉じている。深夜まで仕事をし、いざ帰るにしても夜メシを食べられる店がないのだ。

 「いや、コンビニがあるでしょう? そこで、弁当でも買えばいいじゃないか」という指摘もあるだろう。しかし、コンビニのメシは疲れた体を癒す力がない。

 以前、私は東京都が取り組む「TOKYO正社員化促進計画」のシンポジウムを取材したことがある。TOKYO正社員化促進計画は舛添要一都知事(当時)が取り組む施策のひとつで、シンポジウムなどを開催していた。

2016年1月13日配信

“深刻な非正規問題 東京都が若者の「正社員化」促進へ本腰”(THE PAGE)

 このシンポジウムには正社員化に取り組む企業の代表として、吉野家の安部修仁社長がパネリストとして登壇した。シンポジウムの冒頭、舛添要一都知事があいさつをしたのだが、そのあいさつでは「選挙中に吉野家の温かい弁当は大変ありがたかった。コンビニのおにぎりでも腹は満たせるのだけど、温かくできたての食事を口にできると心持ちは違う」と話していた。

画像3

「TOKYO正社員化促進計画」シンポジウムで話す舛添要一都知事(当時)

 当時、その話を聞いていた私は「そんなもんなのかなぁ」「コンビニ弁当でも十分に美味しいと思うけどなぁ」とぼんやり思っていた。しかし、緊急事態宣言により店の営業時間が制限され、それなのに菅義偉首相は19時とか20時に記者会見を実施する。

 会見時間の30分前には官邸に到着しておきたいし、そうなると晩メシは後回しになる。しかし、会見後に営業している飲食店はない。今回の緊急事態宣言で自分自身が晩飯難民に陥ったことで、ようやく「確かにコンビニメシでは気力を保てない。精神衛生上、飲食店のメシは必要だ」と実感が沸いた。

 会見が終わった後、官邸から有楽町駅まで歩いて帰るのが私の定番帰宅コースになっている。戒厳令下のような漆黒の霞が関・永田町を通り抜けるコースだが、日比谷。有楽町を歩く人はまばらで、当然ながら飲食店は営業していない。それどころか、ブティックや書店なども早々と閉店している。

 緊急事態宣言によって、日本一の繁華街ともいえる銀座と隣り合わせの有楽町・日比谷の夜はさながらゴーストタウンのように静かで暗闇に包まれる。

 東京都の緊急事態宣言は、5月末まで続く。仮に5月いっぱいで解除されたとしても、飲食事情が元通りに戻ることはないだろう。霞が関で働く人たちは官僚ばかりではない。

 今日も遅くまで働きながら、晩メシにありつけない労働者に幸あれ!

 

 


サポートしていただいた浄財は、記事の充実のために活用させていただきます。よろしくお願いいたします