Twitterと句会の共通点

句会というと馴染みのない人も多いと思うのだが、私は現代の句会とはTwitterなのではないか、と思うことがあり、その共通点について言及してみたい。

ちなみに句会とは、「俳句を作り、批評しあう集まり」(デジタル大辞林)のことである。

(1)文字数が決まっていること。基本、決められた制限の中で言い切らないといけないこと。

(2)自分なりの表現も大事だが、周囲にウケるかどうかを見極めて表現を行うことにも一定の価値があるところ。

(3)句会なら結社、Twitterならクラスタによって、内輪のノリやルールがあるところ。

(4)「何を言ったか」ではなく、「誰が言ったか」が重視される側面があること。※たとえば句会の場合、誰が詠んだかわからない状態で句がまわされ選句するのだが、その句会で「上位」と目されている人の句を選べるかどうかが自分の評価につながるという側面がある。

(5)とはいえ、フォロワーの多い人でもすべることはあるし、俳句結社の主宰の人でも、句会の結果が散々なこともある。

(6)「旬」「時事」「季節感」「なう」、すなわち表現において「現在」が重要なポイントであること。※俳句には季語が必須。短歌に季語の概念はない。

(7)(6)の補足として、ライブ感があること。句会の場合、その句会だけで評価され、他の句会では評価されない句というのが明確にある。Twitterも、あるタイミングでつぶやくと広く拡散され、タイミングを外すとそうでない、ということがある。

(8)Twitterなら、どんなツイートをRTするかによって、句会ならどんな句を選ぶかによって自分のブランディングや評価につながるところ。

(9)TwitterならRTやファボ、句会ならどれだけ票が集まるか、目に見える「数」で評価が決まること。

(おまけ)俳句には、一人が五七五を詠み、それを受けて次の人が七七を続け、また次の人が五七五をつける連句という遊びがあるが、これはTwitterの、リプライや引用RTで上手いこと言うのと似てる。


大学のときの教授が、「松尾芭蕉は現代の人から見たら抹香臭いじいさんかもしれないが、芭蕉は芭蕉を演じていたとも思う。そういうバランスの取り方のうまさがあり、“かぶきもの”であったのではないか」と言っていた。

で、その話を聞いたときに、私は芭蕉という人がぐっと身近になった。

現代人がTwitterを楽しむように、江戸の人は句会を楽しんでいたのかもしれないと考えると面白い。現代人のすべてがTwitterをやっているわけではないように、江戸の人がみんな句会をしてたわけではないしね。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

37

Tamaka Ogawa

ライターの話

コメント3件

言い得て妙です。芭蕉がtwitterを見たら、どんな使い方をしたのだろうと、想像が膨らみます。noteもそうですが、文字数の制限があることで、様々な工夫が為されるのでしょうね。リツィートやリプライも含めて、結社や句会の機能に準えているところが、興味深かったです。伝統、歴史の伝承に息吹を吹き込むヒントがありそうです。
鋭いですね、当たっていると思います!
面白いです!ちょっと似ているなと思ったのですが、現代の人が携帯で写真をとるのは、昔の人が俳句を詠むのと同じ感覚らしいです。誰が言っていたのかは思い出せませんが・・・。
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。