目の前にいる人の言葉を信じない人

以前の職場は古いビルの4Fにあった。ビルの大家は70代ぐらいの男性で、お互いになかなかコミュニケーションが取りづらかった。

一番参ったのは、網戸問題。換気のために窓を開けていると虫が入ってきてしまうから、網戸をつけたいと言ったのだ。それまでのやり取りから「網戸をつけたらどうでしょうか」なんて交渉は無理とわかっていたので、「こちらの費用で網戸をつける。退去の際には原状回復する」と申し入れた。

その時点で4年ほどは入居してたと思う。古いけど駅近だということだけで強気なのかなんなのか、全くこちらの言うことを耳を傾けない大家はやっぱり「網戸をつける? なんで? 必要がないから認められない」と言った。

「4階に虫なんて入ってこない」と言うのである。「2階の(笑)、入居者が(笑)、そんなこと言ってないのに(笑)、4階に(笑)、虫なんて(笑)」と、笑いながら彼は言った。

2階の弁護士事務所にはなんの恨みもないが、虫とかあんまり気にしないタイプの人たちなのかもしれないじゃない。

弊社には、蜂、蝉、蛾、蝿など各種の羽虫が飛んできた。めくるめく季節を彩った。費用は弊社持ちで網戸をつけたい、退去の際には元通りにするとの申し入れを「虫は入ってこない」という真っ向からの事実否定で拒否したい大家。もしかしたら彼は、自分の物件に虫が入ってくる事実を受け止められないほどの虫恐怖症だったのかもしれない。

後輩のひとりが取引先からパワハラメールを送られて、相談を受けたことがあった。その送り主とその上司、私と後輩、あと何人かで打ち合わせた際に、そのことを言った。こういうメール、やめてくださいと。

その送り主の上司は、「この内容で傷つくんですか?」というような意味の言葉を言った。ちなみにその上司は私より年下の女性で、送り主は私より年上の男性だった。

その場で何度か言葉を変えて、「こちらは怒っている」と最大限に伝えたところ、上司がようやくちらっと謝罪の言葉を口にしたのは「後輩が直接私に相談した」事実を伝えた直後だった。

私は後輩が告げ口したというニュアンスを相手に与えたくなかったので、その事実は避けながら「“私は”後輩にこういうメールを送られたことをおかしいと思っている」と伝えていた。

でもそれをいいことに、相手は「本人が何も言ってないのに、このおかしな取締役がしゃしゃり出て勝手にキレてる」と解釈していた。メールの内容がパワハラだということを認めないために、そう思いたかったのだと思う。

私が性的な被害について取材をして記事を書くと、「あり得ない」と言う人がいる。

週に何度も痴漢に遭うとかあり得ない。
警察行かないのあり得ない。
電車の中で下着に手を突っ込まれるなんてあり得ない。
スカートに精液かけられた? あり得ない。
バッジで痴漢が防げるなんてあり得ない。
トイレに男性が侵入したぐらいで大騒ぎ、あり得ない。
ブスやババアが被害に遭うなんてあり得ない、女優やモデルはルックスを売りにしてるくせにセクハラ訴えるなんてあり得ない。
一緒に飲みに行ったのにレイプされたって訴えるなんてあり得ない。
このタイミングで告発する女性記者あり得ない。
ちょっと触られたぐらいで傷ついたとかあり得ない。
処女でもないのにセックスぐらいで騒いであり得ない。

彼ら(ときには彼女ら)は、いろんな理屈はつけるけれど、結局言いたいことは、「安全な日本でそんなことがあるなんて信じられない」もしくは「そのぐらいで傷つくなんて信じられない」のどちらかだ。

4階に虫が入ってくる事実を信じられなかった大家、あのメールで傷つきますか?と言ったあの取引先の上司を思い出す。

人間はどんなに訓練したって自分の経験以上に尊重できるものはないのかもしれないから、彼らの気持ちはわからなくはない。私も、昼の空いた山手線で男性器を見せてくる人に会わなければ、そのような経験を語る人に「嘘でしょ?」と言ったかもしれない。誰だって、電車の中で小学生のキュロットを捲り上げる中年男性がいるなんて事実は知らないまま生きていきたい。

目の前にいる人の言葉を否定する人たちは、そうしなければその人が生きていけないのかもかしれない。彼ら彼女らは、「事実を変える」ことで生きている。でも、そうしなければ本当に生きていけないのか。事実を変えて、目の前の人の言うことをなかったことにしなくても、あなた自身がほんの少し生き方を変えれば、生きていけるのではないか。

「なんでもかんでもセクハラって言われる世の中が窮屈だ」

被害を受けてる人は窮屈どころではない。窮屈という表現自体もどうかと思うが、それが窮屈であったとして、自分がちょっと「窮屈な思い」をすれば、そうやって世の中に協力すれば、それだけどこかでセクハラや性被害から救われる人がいるかもしれないとは考えられない?

ここから一歩も動かんぞ!って人を直接動かすのは難しいが、私が動かせなくても、他の誰かが動かせることはあるはずだから、動かそうと試みる人を増やしたい。

事務次官の録音テープ音源を聞いて、笑えるのはむしろ女性かもしれない。

以前、ストーカーに遭っている女性が男友達に家まで送ってもらったら、ドアノブに精液がかけられていて、彼女は冷静だったけど、男友達は真っ青になっていたという話を聞いたことがある。

昼の山手線で男性器、小学生の頃から痴漢、ドアノブの精液。日常の中に突然現れる裂け目を見ていたら、トップ官僚が仕事の会話の中に突然「うんこ」「おっぱい」を差し挟んでも驚かない。そういうのは騒ぎ立てずに、笑って流すなどうまく対処したほうがいいと社会から躾けられてきたのだから。裂け目などないこと、なかったことにしておくことで、「安全な社会」に生きていると思っている人は多いのではないか。加害者にも、傍観者にも、被害者にも。



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Tamaka Ogawa

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