抜け駆けは、ほぼ気付かれるという話

石垣島を訪れるのは去年に続いて2回目だった。島の人たちと話して気付くのは、本土の出身者がかなり多いこと。流れ着くようにして来てしまったって。北海道にしろ沖縄にしろ、端っこには引き寄せられるのか吹き溜まりになるのか、人が留まるんだよと聞いた。そういえば昔働いていた向島も、東京の端っこにあった。隅田川をまたいで向こう側、江戸時代には愛人を住まわせる「向こうの島」だった土地。そこで出会った芸者のお姉さんの一人は、宮古島で2年間暮らしていたことがある人だった。「宮古島だって冬は寒いの。ストーブがなくて寒くて布団にくるまってたら2年経ってたんだよ」と言った。宮古島の冬は本当に寒いんだろうか。今思えば、彼女が当時何をして暮らしていたのかも知らない。

水商売あるいは芸者の世界あるいは花柳界。あの世界にはあの世界特有のしきたりがあって、たとえば当時こんなことがあった。

私はかもめ(芸者さんと同じ格好をしているけれど芸を覚えないお酌するだけの女の子。別名お酌ちゃん)として働き始めたばかりで、同じく新人のMちゃんと一緒にあるお座敷に入った。そこで結構な額のチップをもらった。Mちゃんと私は喜んで帰り、置屋のお母さんに「こんなにチップもらっちゃった」ことを言った。そうしたら、お母さんが真面目な顔をしてこう言ったのだ。

「料亭の女将さんに返してらっしゃい」

芸者はほとんど置屋に所属していて、そこから街の中にある料亭に仕事をしに行く。料亭の女将さんに気に入ってもらえれば「専属」として毎日呼んでもらえることもあるけれど、専属にならないと、とりあえず置屋で待機して料亭から呼ばれるのを待たないといけない。

お母さんが言うには、お客さんからチップをもらったらそれはいったん料亭の女将さんに渡すのが「しきたり」。女将さんは自分の分を取って、さらに同じお座敷に入っていた女の子たちに分配し、残った分を本人に渡す。

「お客さんは君だけにあげるからねって言うかもしれないけれど、それでも絶対に女将さんに渡さないとダメ」

なぜ? なぜならば。

「男の人は、自分が女の子にチップをあげたとか、どこかに食事に連れて行ってあげたって話は黙っておかない。必ずいつかお酒の席で自慢するの。だから自分だけチップをもらって、どうせ誰にもわからないって思っていても、絶対にバレるからね」


石垣島で知り合った女性Bさんも関東出身の人で、どうやら銀座で働いていたことがあるらしいと人から聞いていた。石垣島で過ごす最後の夜、Bさんとお酒を飲んだ。私が向島のチップの話をするとBさんは「そうそう。でもそんなしきたり、言ってもらわないとわかんないよね」と言って笑った。

Bさんが銀座で働き始めたのは30歳を過ぎてから。年齢的には他の女の子より上なので、お客さんからは愛を込めて「ババア!」と呼ばれていたそうだ(40を過ぎた今でも20代に見えるような人だし、美人だし、いくらでもサバを読めそうなのにと言ったら「そういうの柄じゃないし」と言っていた。たぶんだけど、それはプライドでもあったし、自信があるからこそできたことだとも思う)。

根が働き者のBさんはババアなりに店に貢献しようと思った。お客さんが喋っていたことを仕事が終わったらメモ。たとえばお客さんが「うまい天ぷらが食べたいな」とつぶやいたら次の来店までに自分の調べられる限りの手を使って、そのとき一番おいしい天ぷらを出す店を探した。

そうしてお客さんが来たら、その店のことを教える……のではない。Bさんはまず、店を取り仕切るママやお姉さんに伝えた。「あのお客さん、おいしい天ぷらの店を探していたから調べてきました。ママから伝えてください」と。ママはBさんがメモしてきた紙を受け取り、ご機嫌。お客さんが来ると、「あの子が調べてきてくれたのよ」と言ってくれることもあるし、「直接Bちゃんから教えてあげなさい」と言ってくれることもある。

Bさん曰く、「裏でこっそり客を寝取るような女の子もいるから、ママもお姉さんたちも警戒するよね。ママにも安心してもらって、お客さんもうまく楽しんでもらう。両方できた方がいい」。

銀座で働き始めてから3か月。そんな調子で働いていたら、Bさんはあるお金持ちから気に入られた。嘘か本当か、銀座で1か月に1億使う人だったという。そのとき、ちょうどそのお金持ちの「担当」が空いていて、お眼鏡にかなったBさんは「ババア気に入った! 俺の担当になれ!」と言われたんだそうだ。

Bさんは丁重に断った。「私は銀座で働き始めてまだ3か月なので、そんな風に言っていただくのはもったいないです」と。それでますますお客さんはBさんを気に入ったのだろう。ご機嫌になって、お店で一番高いワインを頼んでくれたそうだ。

「お客さんもご機嫌だし、お店のママも高いお酒頼んでもらえてうれしいし、女の子たちもおいしいワインを一緒に飲めたし。みんなに喜んでもらえれば自分が働きやすいよね」とBさん。


こういう、業界特有のルール、しきたりに馴染めない人もいると思う。私もどちらかというと馴染めなかった。Bさんも結局銀座をやめて石垣島にいるから、そういう気の使い方に疲れてしまったのかもしれない。とはいえ知っておいて良かったと思うことがあって、それは「抜け駆けは、ほぼ必ずバレる」ということ。一緒に働いている人を欺けば、それは必ずバレる。そして人は抜け駆けされたことに気付いたとき、たいがいその人を許さない。若いと「このぐらい大丈夫。バレないはず」と思いがちなのだが、これが仏様の手のひらの上のように見透かされている。バレていない自信があればあるほどそう。怖い人ほど、抜け駆けに気がついたなんてことを顔に出さない。波がさーっと引いていくように、人の信頼を失うことがある。そういう失敗をしてしまう人が多いので、だからこそBさんのような慎重さが際立つ。どうせバレるんだったら手の内を明かした方が好かれるし、抜け駆けをして手に入るものはたかが知れている。


手際良くつくる焼酎の水割り。あたたかいこの島でなんの心配もないよ、何も持っていないからだよ。酔いの向こう側でBさんの声がいつまでも耳に残った。宮古島で暮らしていたというあの芸者のお姉さんは、実は少し意地悪だったけれど、たぶんものすごくさみしがりやだった。今だからこそ、あのお姉さんのことも懐かしく思えたりするのだ。








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Tamaka Ogawa

向島の話

10年ほど前に向島の料亭で働いていた頃の話です
1つのマガジンに含まれています

コメント4件

Bさんの手際、感服。
ほんとそうですよね〜。
抜け駆けは、皆が許さないってのはわかるけど、むしろ「自分が」許さないって感じの粋っぽさを、この登場人物から感じました。いいですね。^^
確かに…! 仰る通りですね。
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